生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

ルームシェアの終わり

引っ越しは来週の予定。10年ほどやっていたルームシェアも終わり、1人暮らしに戻る。 不安だったのかものすごく前倒しで引っ越しの準備をしてしまったのだが、近づいてきたら逆にだらだらしはじめてしまった。

実生活がそんななか、Twitterも「X」という名前に変わり、サービスの哲学が何もかも失われた気がして、新しい場所を探してふらふらしている。

新しいSNSがほしいっていうより、こう、親しきひととひそひそ話したり、話しづらいけど誰かに聞いてもらいたいとか、こぼしたい話をぽろぽろしたり、そういう場所がほしいんだよね

さまざまな表現で消えたさについてここで話して、消えたさをゆるゆると押し流して、外に出てがんばるわけだから、やっぱりなくなると困るなとは思った。安心して消えたさについて話せる場所ってあんまりないからなあ。心配させるしね。心配させたいわけじゃないし、実際消えたいわけでもないからな。

昨日こんなことをつぶやいた。Twitterはまさにこういう場所だった。でも安全な場所かといわれると、ここ数年まったくもってそうではなくなってしまったので、潮時かな。変わっていくときは身の回りの何もかもが変わっていくんだなあと思う。

ついでにこのブログの名前も変えました。404 not foundじゃなくてもよくなったので。何か良い名前があるといいんだけどなあ。とりあえず生活🐌の記録にして、しばらくやっていってみる。