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雑多な日記

ぼくたちはみな乱反射するひかり

暖冬

暖冬の年は雪がたくさん降るというけれど、先日職場のひとが、それってウソらしいですよ、と言っていた、本当のところは知らない。

 

結婚しないのかおばけ

去年くらいからわたしにつきまとっている「結婚しないのかおばけ」がまた出たので、どっとつかれている。みんなみんな悪意ではないことはわかっている。心配してくれていることも。けれども、それを言われるのが正直しんどいので、「みなの知らないところであの子には、言葉にするのもおぞましいひどいことが起きたらしい、だからいまはもう話題にするのはやめよう」、みたいな噂話を流したくなる。いや、もう流そう。そうしよう。

わたしがずっと思っているのは、たとえそれが「心配」からくるものだったとして、結婚しないといっている人間に対して、結婚しないのか、と繰り返し繰り返し問うこと、結婚しろ、と圧力をかけることはハラスメントではないのか、ということだ。いやというほど繰り返されて、わたしは気が狂いそうです。

結婚したいひとはすればいいと思うし、結婚なんてみんなやめろ、結婚したいなんて言うのもやめろ、なんて少しも思わない。本当にまったく思わない。その制度がより良いかたちでいろんなひとに開かれていく未来を望むし、友人が結婚していくことは素直に祝福し、これからの日々が少しでもひかりにあふれたものであるように、と祈らずにはいられない。

だけれども、それと、自分が結婚するか、というと、まったく別の話である。

結婚=幸福、ではない。なかにはしあわせになった人もいるだろう。だけれどそれは絶対の約束ではないことはみんな知っているはずなのに、どうしてかたくなに「結婚しろ」と言うのだろう。
結婚=安定、でもない。以下同文。「結婚」したらしあわせになれる、安定できる、と本当に思っているの? 思っているのだとしたらわたしとは思い描いているものがちがうのだろう、としか言えない。

「結婚しません、いまのところ」と言うと、「残念」という顔をされることがある。わたしが社会に出てやってきたことのすべてを無視したような。「がっくり」でもいい。「かわいそう」でもいい。とにかくそういう顔だ。

なんとか働いてきた事実だとか、得た技術だとか、仕事での評価だとか、人間関係だとか、もっと小さなことで言えばきりがないのだけれど、とにかくそういったものが全部なかったことにされたように思えてがっくりしてしまう。結婚できない、しないだけで? たったそれだけのことで? いまだに「女」の価値は、「結婚というゴールにたどり着けたか」みたいなところではかられているのか? みたいに思うと、あらぬ声をあげて走り出したい。早くからとにかく自立をしたくて、ただそれだけを思ってやってきたのにね、みたいに思ってむなしくなる。わたしが結婚しないのは、自立を妨げないひととなかなか出会えないからだし、今のところ結婚にメリットを見出せないからでもある。

今はたまたまわたしが「結婚」の時期だと周囲に判断されているので、そういわれるのだろうけれど、これでもし結婚したなら次は「子どもは」となるだろうことは目に見えている。

みんなどういう気持ちで「結婚しろ」「結婚しないの」「愛されたほうがいいよ」と言うのだろう。やってみてはじめてわかることがあるよ、なんてどうしていえるのだろう。皆目わからない。あなたのいう愛が、幸福が、わたしにとっての愛であり、幸福であるとは限らない、みたいな話をしなければならないのだろうか。そんな話はしたくない。繰り返すけれども、そんな話はしたくない。

 

地獄でなぜ悪い

つらくてツイッター離れたのに、リアルがつらいとこうやってぼやくしかないんだよなって思うとまじで地獄みあるけど、昨日「地獄でなぜ悪い」を見たら最高だったし大好きになったからいろいろ帳消しになるのかもしれない。なったらいいと思う。

だれもダメじゃないけどさよならさんかくまたきてしかく

ツイッターをやめることにしました。といってもおそ松アカウントはまだ続けるので、あんまりばっさりやめるって感じでもないんですが。

理由はあるといえばあるし、無いと思えば無いような気もするし。

今朝起きたとき、本当にちいさなことで最悪な気持ちになって今すぐすべてほろびろと思った、それはツイッターを見ることで入ってきて、そうやってちょっとした刺激で気持ちが上下すること、それは発せられたものの内容というより、限りなく感情の反射的なもので、ああ、こんな風になるのならやめるのがいいかなと。

自分が、と発信すること。何が好きで何が嫌いで何を正義と思い、何を悪と思うか。そういうのを叫ぶことにつかれちゃったし、それを見聞きすることにもつかれちゃったんだなと思ったりしました。

ただそこに在ることができたらいいけど、何かを発信するってことはそれだけで誰かを踏むので。わたし自身誰かを踏みつけ、同時に踏まれてもいるんだろう。常に。

相手からしたら楽しんでただけじゃん、っていうような、そういうちいさなことさえをめためたに引き裂きたくなる。お菓子食べてるみたいな顔でひとのことを踏むな、わたしはすこしも悪くないもんみたいな顔するな、バーカバーカバーカ! ってそういう風に叫びたくなる衝動があって、そういうのがいやになっちゃったんですね。実際バーカバーカバーカって叫べばいいのかもしれない。でもわたしが叫んだところで、わたしがなにを痛いと思って、なんに傷ついて、なにを怒っているか、そういうのは伝わらない、少なくともツイッターでは。

好きなものは好きなままです。好きなひとのことも好きなままです。きらいなものも、まああるけれども、好きなものをきらいなものにしてしまいたくなくて、というか、ほら、ヤマシタトモコの漫画でバレエをやめてしまった主人公が、バレエは嫌いなの? って聞かれて、本当に好きだったから、わたしはキライになってしまいたくなくて(だからやめたのだ)というシーンがあるんですけどね、そういうかんじです。そう思うとべつにツイッターは関係ないのかもだが。

ただわたしのことなので、明日にはまた、やりたくなったからやるー!って言い出すかもだし、それがずっとこないこともあるわけで、明日のことは明日にまかせます。3年間? いやもうちょっとか? 短歌アカウントでは仲良くしてくれた方も多いので、ありがとうございました。このブログは時々なんでもないことを書きますのでどうぞ今後ともよろしくお願いします。

いまから10年くらい前にサイトを閉鎖するときに飯田蛇笏の俳句を引用したのだけれど、今もわりとそういう気持ちだな、って思ったらいつも何かしらから離れるときはこの句を思い出しているみたいで2012年ころの日記にも書いてあった。(元の本が手元にないからわからないんだけど、表記あってるかな、これ。)

木蓮に日強くて風定まらず(飯田蛇笏)

みなさまどうかお元気で。

2015年ふりかえり

毎年恒例、1年の総括。今年は苦しい1年だった。

1月

去年の11月に体をこわした延長で、ぽつぽつろくろひいたりもしているけれど、良くないかんじ。

2月

引き続き引きこもり。

3月

お金なくて困ってたっぽい…先立つものが必要って言ってた。

4月

ぽつぽつこの日記でも報告をはじめてる。
物を作らなくても生きていけるのでは、というようなことを考えていたっぽい。

5月

3月末にペダステを見て、その名残で突然みつさんにはまる。
好きになりすぎて、だいぶ、気がくるっていたもよう。

6月

引き続きみつさんだった… 元気でてきたみたいで、たぶん、転職活動とかしていた。あと、吟行とかもこのころかな。

7月

とにかく生活を安定させなければと新しい会社に移る。ストレスでちょっとはげる。

8月

産毛が生えてくる。

9月

短歌のことですっごい怒っていて、いろいろ爆発した。怒ること、について考えていた。

10月

前半はものをぽつぽつ書いていて、後半、突然のおそ松さんにはまる。仕事がとてもいそがしい。後頭部も若干のはげがあったのか、ふわふわとした毛がはえてくる。

11月

仕事が忙しいのがちょっと抜ける。来年に向けてちょっと考え出す。短歌とも、もうすこしつきあってみよう、と思っている。

今年はもう終わりの気分! 舞台に加えいまはおそ松さんが熱いです。熱くてどうしようもないから、来年オンリーに出ることにしました☆人間どこでどうなるかわからないね!

 

陶芸もどうしようかなあ。やれるならやりたい、と思うけれど。少し尻込みしている。

方舟をおりて歩く

昨日今日とちょっとした頼まれごとの文章を書いていて、ああたのしいな、と思ったのだった。別になんてことはないものだったのだけれど、そういうたのしさは久々の気がして、すこしうれしく思った。

短歌を作りながらわたしはずっと苦しかったのかもしれない。戦っているつもりはなくてもいつだってそこには短歌というものがあって、評価の目があって。短歌を作るのも、それから評されるのも、自己顕示欲みたいなものを抱えているのも、ずっと苦しかった(と振り返って思う)。

未来のことなんてとんと考えていなかったけれど、ここ数日未来のことを考える。雑誌を作るときもそうすればよかったのだろうな、とも。いつだって「やらなければ」ばかりだったから。と終わりを語っているようなのに、一歩引いてからのほうが目の前が開けて、先に向けてなにかをしたいと思うのだから不思議である。

未来に向けてなにかをしたい、といまは思う。未来が楽しくなっていくようななにか。わくわくとまではいかずとも、やっていて、ふふふと笑ってしまうようななにか。

書くことは、すこし楽しい。その「すこし」とともにしばらくいきたい、と思う。




怒ること、戦うこと、怒らずに戦うこと

些細なことが積み重なって自分のなかのダムみたいなものが決壊し、悲しみを砂みたいにべーべー吐き続けて数日、迷惑も心配もかけただろうに幾人かのひとからメッセージを受け取って、あらためて、怒ること、戦うことについて考えた。

何事もなく、ただ好き好んで怒るひとというのもそう多くないと思う。少なくともわたしは。ほぼほぼ理由があって怒ってきた。同時にできることなら怒りたくないとも思ってきた。怒るのは疲れる。すごくすごく疲れる。それから損なわれる。自分のなかの何かが。でも怒らなきゃいけない場面というのはあって、だから怒ってきたのだった。怒るのも戦うのも下手ではあったが、下手なりにやってきたのだと思う。

わたしはみんなに怒れ、とも、怒って戦え、ともいえない。それはその人自身の考えることだからだ。怒るひと、怒らないひと、戦うひと、戦わないひと、戦いかたもいろいろだし、いろいろじゃなかったら困る。だからそこはいろいろでいいのだとおもう。

ただいくつか思ったことのひとつは、どうか怒っているひとに自分の怒りを肩代わりさせないでほしい、ということ。怒っているひとはあなたの怒りのために怒っているわけではないのだから。

それから怒らないことは賢いこと、みたいなのもやめてほしい。一見それは正しいことのように見えるかもしれないし、実際そういう場面もあるのかもしれないけれど、怒りとともに戦ってきたひとがいるからこそ、やっと届く言葉、というのもあるのでは、ともわたしは思う。少なくとも、わたしはそうして先人や幾人かの友人が戦って切り開いてきてくれたからこそたんたんと話せる場面があったし、それをなしにして、冷静に話しをしてこそ届く、なんて、それは声の届くところまで道を切り開いてきたひとたちを無視するものだと思う。

そうはいっても、と、みんなそれぞれ、それぞれのやり方で戦って進めたなら、みたいなことも思うけれど、でもできることなら戦わずにいられたら。戦わなくていい世界になったなら。そういうことをやっぱり考える。



報告7:最近のはげ具合

ストレスなのかわからないけれども最近またあたまのてっぺんが禿げている。10円というほどきれいなかんじではなく、ぼわっと薄くなっているのだが、お風呂にはいるたびに毛がごそっと抜けるので、うひゃーと思っている。このまま一部ではなくどんどんはげていったらどうしよう! 不安。不安がっていると余計に禿げそうなので無理せず穏やかな気持ちですごそうとは思う……。産毛さんたちはやく生えてきて!

自分が何人であるか、という問いかけはむつかしいなあと思う。少なくとも、いままで自分が何人であるか、というところを問いかけたことがなかった。問わずにすんだのはわたしが無自覚に、かつ、世界に対して無関心に暮らしてきたからだろうか。欧米に行けば、わたしはアジア人という大きなくくりでみられるだろうし、アジアに行けば、やっぱり日本人としてみられるのではなかろうか。それは顔立ちであったり言葉であったり、いろいろな要素が組み合わさってなのだろうけれど。国が経てきた歴史は日本人という属性とともに個人の人格とは関係がなくくっついてきたりするのだけれど、わたしは無知で、知ろうともせず来たことも確かなので、これから知っていきたいと思う。

考えることはやまほどあって、書きたいこともやまほどあるのだけど、時間切れ!

報告6:本当に月記

新しい会社にうつりました。たんたんと過ごしています。少し早寝早起きになりました。

まずはこのガタガタになった生活をどうにか、というのがありつつ、時折、なんでこんなことになったんだろう、とも思って、恨んでもしかたないのだけど、去年の秋事変をまだ恨んではいるな、と思ったりする。ひどいよな、って思うことはたくさんあったし、その、ひどい、が、伝わらないっていうのはけっこうしんどかった。相手がそういうひとだってわかってるから、っていうのはわたしを救ってくれない。わたしだってわかっている。相手がそういう人であるということは。でも別にそれを許そうとは思わないし、その人と同じように誰かを利益のために貪ろうとも思わない。

人として、絶対的に正しくある、なんて誰にもできないだろうと思うけれど、それでも正しくあろうとはしてくれよ、みたいに思ってしまって。こっちがへらへらしているのが悪いのか? と繰り返し思っても、そんなことないだろうとも思う。どうやったって他人を自分の利益のためだけに貪るほうが悪いでしょう。みんな自分がかわいい。わたしだって自分がかわいい。だから自分が悪かった、なんて絶対言ってくれないだろうし、わたしも、わたしが悪かった、なんて思わない。このことに関しては。

新しいところ移らなければ、いつまでもわたしは去年の11月を引きずり続けるんだと思うので、新しい場所を探したいし、わたしは大層苦しかったですよ!!! と、怒れるくらいには、いま元気なんだと思う。なんかこのまましょぼしょぼしてるなんていやだよなーと。やりたい、と思うことが出てきたときに、できない、のは悲しいから、その準備だけはしておこうと思う。

短歌のほうもなにかできたら、とは思うけれど、どうかな~。じわじわ起き上がっていきたい。