生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

この地平に

東京は晴れのち曇り。窓のすぐそばを飛ぶ鳥の輪郭がいつもよりはっきりみえる。
4月にはいって三度目の週末。平日仕事、週末陶芸にも少しずつ慣れてきた。家事をちゃんと日常に差し込んだりできるようになってきたのがその証拠。毎日きちんと睡眠をとっているので身体に疲れはたまっていない。このペースなら大丈夫。時間とともに体力も腕力も追いついてくるはずと思っている。
先日友人と飲んだとき、研修生になるまではやかったよねと言われたのだが、自分ではそんな風には思っていなかったので不思議なかんじがした。やるかやらないかを迷っていた時期よりも、どうやったらやれるかを考えてじりじりしていた時間のほうが長いのでそう思ったのかもしれない。勉強する場を得られたことはゴールではなくてスタートなので、準備体操を終えていまやっととろとろ走り始めたというかんじもある。

なんかな。いろんな可能性をたくさん考えていくと、やっぱり地元に帰りたいような思いもあって、いまは東京でやることがあるから帰らないけど、いずれは静岡に帰るんじゃないかなと思っている。5年後か10年後かはわからないけど。わたしはやっぱり静岡生まれの静岡育ちなんだなと。あれだけ出たかった静岡なのにあののんびりしたかんじをいまは愛しく思います。

こないだ母からのメールで父の写真を見たらちょっと泣いた。ちょっとやせた。なんかな。できるだけ長生きしてほしいとは思うけど、数ヵ月もつか、みたいな話だったのが1年もってるんだからすごいことだよな。できるだけいっしょにいる時間つくりたいなあと思う。親父さんは好きっつーかなんつーか。あのひとがいるから生きてるっていうか。おれのトトロ。