読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

flat

雑多な日記

思い出にできるのは

去年の12月、まだ若かった友人が亡くなり、今日やっとお墓参りすることができた。広大な霊園の一角。誰かがきたばかりなのか、まだ枯れていないお花がそこにあり、誰かの痕跡があることに勝手な感想ではあるけれど、よかったと思った。

その友人とは半年ほど一緒に暮らした。いろんな事情があってそうなったのだけれど、今になればそれがよかったのか悪かったのかはわからない。こないだも書いたけれどできることは本当に多くないんだと実感せずにはいられない時間だった。

お墓の前に立っても、もういないのだ、という実感は湧いてこず、まだどこかで生きているような気がするし、思い出にはまだできないなと思う。思い出にできるのは過ぎ去ったことだけで、突然途切れてしまった時間についてはそこで止まってしまう。どこかで元気だといい、と祈ることもできない。

それでも、いま、いまこの時間がその友人にとってつらくないといいな、なんてことは思ってしまう。それはわたしの自己満足でしかないのだけど、それでも。まだそばにいるとき、すごく苦しんでいたから、そういう苦しみがなくなっていたらいいなと思ってしまう。

本当はたくさん悲しんで、折り合いをつけたり、そのひとを見送る過程が必要なのかもしれないけれど、まだそういう感じにはならない。

 

ただ今日が晴れていて、暖かくて、それはよかった。朝の霊園は静かで落ち葉に色づいてとてもきれいだった。