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雑多な日記

ぼくたちは点滅するひかり

夕飯はコンビニで買ってきたお鍋に麦ごはんを入れて食べ、頼まれた原稿のことを考えながら、資料の漫画をぽつぽつ読んだ。大好きな漫画なので持っていないはずがないのだけれど、誰かに貸しているのか見当たらなかったのでもう一度買った。こういうことはよくある。好きだと思ったら「これ読んで」と周囲に押し付けてしまうところがあり、そうするうちにもう一度読みたくなって買う、ということの繰り返しなのだ。だから本当に好きな本は必ず2、3冊ずつ持っているか、「もう一冊持ってるから」ともらってもらう。

ここ数日で、BLはリアルではないという言説を見かけ、そうかなあ、とぼんやり考えていた。「BLっていうのは積極的にデフォルメされた世界であって、たとえば肉体の汗の匂いみたいな話ではない*1」。そうだろうか。そうなんだろうか。それはBLだから、ということではなくて、BLの中にもいろんなお話があって、その一部、というのが正確なところで、そうでなかったら今こうして手にしている物語はなんなのだろう。

紙にはばまれてわたしはその空間に降り立つことはできないけれど、その物語を読んで、生き生きと描かれたキャラクターに共振する自分は確かにいて、それはわたしにとっての現実であり、それこそ肉体の厚みであり、においであり、他者の呼吸である。他者という存在そのものである。それは、長い雨に不意にだれかの存在を思い出すときだったり、だれかと触れ合ってなんともいえないズレを感じるときの感情と何ら違いがない。そういう生のふるえとともにことばは生まれ、そうしてこぼれた言葉は、BLであろうと、男女の恋物語だろうと、百合だろうと、恋愛だろうとなかろうと、「現実」と線引きされるものではないのではないか。

BL云々、ということではなくて、「(等身大の生や感触が作品から感じられることをよしとする価値観において、これらの作品群からはそれが)伝わってこない」というのであればすごくフェアだけど、最初から「BLだから」で線を引くことはただの偏見にほかならない。そうしてそういった言説が各所で繰り返されることは偏見の再生産だと思う。

カナさん*2、というBL漫画がある。作者はトジツキハジメさん。著者の「BL集大成」として2013年に出版されたコミックスだ。

主人公・ヒロセはバイト先である下北沢の居酒屋のトイレでバンドマン・カナさんと出会う。「自由が服を着て歩いている」ようなカナさん。「不満はないけど希望もな」く、「やりたい事も時間もない」というヒロセの世界はカナさんとひとつの秘密を共有してから次第に変化をみせる。

激しい恋のはじまりではなくじりじりとふたりの距離が近づいていくさまや、カナさんがその生を鮮烈に走り抜けていくさま、そのあとを追ってヒロセの世界がめぐり始めるさまが丁寧に描かれている。

どれだけ
時間が経っても
目に見えない
ものを
みんなが忘れても

ずっと思ってる

(「カナさん」トジツキハジメ『嘉那さん』より引用)

女性が男性の同性愛を描くことは闇雲に男性の同性愛者をネタにし、消費することだろうか。そんなのは「カナさん」を読んだら言えないはずだ。描くことが問題の根本ではない。腫れものを触るように無視すること、様々な作品のなかで存在がないものとされること、それこそ他者が消費しやすい「かわいそうなお話し」を背負った存在としてのみ描かれることは問題ではないのだろうか。差別に対するカウンターが描かれないことは? 差別を許容する、助長する描写についてはどうだろうか。それは現実と合わせて考えなければならないことだ。そして、他者の消費という問題については、多くの創作物が背負うもので、向き合うほかないものだと思っている。

BLというジャンルに限ったことではないのだろうが、作品のふり幅が大きいので、「BLは」と語るときはできる限り実際の作品を(商業作品に限らず)ひもといて語ったほうがいいと思う。BLは数多に出版されているから自分が良いと思う作品に出会うのは大変だろうと思うけれど、わたしも毎月自分の嗅覚と運と知識によりBLを買い続け、出会える喜びも出会えない残念さもかみしめながら宝探しを続けている。ふるえるものがない、それは仕方のないことだ。BLはすべてのひとを喜ばせるために存在はしていない。そこでしか読めないものを求めているひとのためのジャンルだから。そしてそこでしか描くことのできないものを描いているジャンルだから。

少なくとも詩はどこにでも宿る可能性があるもので、BLだから宿らない、というわけではない。「わたし」はもっと自由になれる、もっと、「わたし」から、固まってしまった「ことば」から。そう思いながらBL短歌をやっている。わたしだけではないだろう。みなそれぞれのひかりをもって立っている。それが遠く、近く、大きく、小さく、速く、ゆっくりと、ちかちかと点滅しつづけることが、文藝にとっての豊かさの継続だと思うし、そういうのがいいなと思うから、BL短歌をやっている。やり続けている。