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雑多な日記

だれもダメじゃないけどさよならさんかくまたきてしかく

ツイッターをやめることにしました。といってもおそ松アカウントはまだ続けるので、あんまりばっさりやめるって感じでもないんですが。

理由はあるといえばあるし、無いと思えば無いような気もするし。

今朝起きたとき、本当にちいさなことで最悪な気持ちになって今すぐすべてほろびろと思った、それはツイッターを見ることで入ってきて、そうやってちょっとした刺激で気持ちが上下すること、それは発せられたものの内容というより、限りなく感情の反射的なもので、ああ、こんな風になるのならやめるのがいいかなと。

自分が、と発信すること。何が好きで何が嫌いで何を正義と思い、何を悪と思うか。そういうのを叫ぶことにつかれちゃったし、それを見聞きすることにもつかれちゃったんだなと思ったりしました。

ただそこに在ることができたらいいけど、何かを発信するってことはそれだけで誰かを踏むので。わたし自身誰かを踏みつけ、同時に踏まれてもいるんだろう。常に。

相手からしたら楽しんでただけじゃん、っていうような、そういうちいさなことさえをめためたに引き裂きたくなる。お菓子食べてるみたいな顔でひとのことを踏むな、わたしはすこしも悪くないもんみたいな顔するな、バーカバーカバーカ! ってそういう風に叫びたくなる衝動があって、そういうのがいやになっちゃったんですね。実際バーカバーカバーカって叫べばいいのかもしれない。でもわたしが叫んだところで、わたしがなにを痛いと思って、なんに傷ついて、なにを怒っているか、そういうのは伝わらない、少なくともツイッターでは。

好きなものは好きなままです。好きなひとのことも好きなままです。きらいなものも、まああるけれども、好きなものをきらいなものにしてしまいたくなくて、というか、ほら、ヤマシタトモコの漫画でバレエをやめてしまった主人公が、バレエは嫌いなの? って聞かれて、本当に好きだったから、わたしはキライになってしまいたくなくて(だからやめたのだ)というシーンがあるんですけどね、そういうかんじです。そう思うとべつにツイッターは関係ないのかもだが。

ただわたしのことなので、明日にはまた、やりたくなったからやるー!って言い出すかもだし、それがずっとこないこともあるわけで、明日のことは明日にまかせます。3年間? いやもうちょっとか? 短歌アカウントでは仲良くしてくれた方も多いので、ありがとうございました。このブログは時々なんでもないことを書きますのでどうぞ今後ともよろしくお願いします。

いまから10年くらい前にサイトを閉鎖するときに飯田蛇笏の俳句を引用したのだけれど、今もわりとそういう気持ちだな、って思ったらいつも何かしらから離れるときはこの句を思い出しているみたいで2012年ころの日記にも書いてあった。(元の本が手元にないからわからないんだけど、表記あってるかな、これ。)

木蓮に日強くて風定まらず(飯田蛇笏)

みなさまどうかお元気で。