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雑多な日記

ことばの海

ずっと考えているけれど、わからない。短歌のことも詩のこともわからなくなってしまった。わからなくなってしまったけど、やめようとは思わない。

今朝、目が覚めたとき、詩はすべてを内包するものではないか、あるいはどこにも少しずつはいっているものなのでは、と思ったりした。ことばの海があって、そこには会話から小説や評論、それこそまだかたちになっていないことばたちがゆらゆら浮かんだり沈んだりしてあるわけだけれど、きっと詩は短歌の群れのなかにも、小説の群れのなかにも、評論のなかにも、少しずつ混じりこんでいるもので、詩は不思議な何か、そう人魚みたいなものかもしれないなと思った。でも人魚って人間食べるんじゃなかったっけって思うとこわいね! 詩にのみこまれたら、もしかしたら、感情、なんだろうな、物語、かもしれないし、論理かもしれないけれど、保っていたなにかはばらばらになってしまうのかもしれない。

拙い、舌足らず、と二箇所で言われて、ああそうか拙いんだなあ、と自覚したけど、3年後、もしかしたら上手くなっちゃうかもしれないから(笑)、いまの拙さはそれはそれで楽しもうとも思っています。3年後にはいま作っているようなものは作れなくなっているかもしれない。身体のなかを泳ぐことばは毎日変わる。わたしのもっている海(バケツのようなもの)はとても小さくて、あまり量をとどめておけなくて、いつかもっと大きなバケツがほしいとは思うけれど、気づいたときに大きくなってた、ならいいね。

わかること、わからないこと。そのどちらもでいろいろ考えたい。

ただ、わからないからといって自分にわかるように作品を書き換えるなんて、あっちゃだめだ。それは誰かの詩のことばを殺すことのような気がする。作品は外に出したら自分もまた読者なのではないか。ことばも、作品も、いつだって他人なのだと思う。

わたしは作品を、きちんと受け取れるように、読めるようになりたいと思います。わからないってところも含めて。いまはそればかりある。