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雑多な日記

おもったこと

忘れないうちに書いておく。

  • 写真に文字をいれるとコマーシャル的要素が強くなるのではないか。文字の力に引き上げられて写真の意図は撮影者、あるいは作成者の意図を限りなく意図に近い形で伝えたい人に伝えることができる。この「伝えたい人」というところがポイント。それがよしというわけではない。報道写真にくっついてくる「キャプション」もこれに近いものがあるが詩的要素はぐんと減る気がする。もっと事実を伝えるための文字。そこにはできるだけ作者の意図ははさまれない、冷静な視点が必要。
  • 写真を写真のみで伝えるにはどうしたらよいか。もっと映像として強いものでなければ伝わらないし、撮影者の意図はそもそも性格に伝わる必要があるだろうか? 伝える努力は必要。気持ちも必要。同時に読み手に任せる部分があってもよいのではないか。
  • こないだ文筆家と現代詩を書いている若者との対話を読んだが、「J-popではないような詩を書きたい」というのはどういう意味か。いまのJ-popは伝わりやすい歌詞が多いと思われる。伝わらない言葉、の意味は? 言葉そのものの音を楽しむということだろうか。言葉の意味でなく、音が伝わればいいということだろうか。であれば「J-popではない詩をかきたい」という回答にはならないのではないだろうか?
  • J-popをコスプレ写真に置き換えてみるとどうか。
  • 人物を撮ることはその人自身を伝える、ということにならないだろうか。もしその人自身を伝える必要がないのであれば、他に何を伝えるかと云えば、物語を伝える、状況を伝える、感情を伝える、等々。他に何があるか。
  • そもそも「誰」に「何」を伝えたくて作るのか。自分に向けて作るのであれば、外に発表する必要があるか。
  • 見せる、発表する、ことは、評価される、ということ。(プラスにもマイナスにも)
  • ポートレイトでお金をとらない。コスプレでお金をとる。その違いは? 商品化するということはどういうことか?
  • そもそも自分の写真を商品化する必要があるかどうか。ただ撮っただけの写真そのもので商品化されることはないだろうと思う。写真家の写真集に値段がつくのは、そこに写真家の哲学や考え方が入っている故の値段だと思われるし(映像の希少価値、映像の美しさ、というものもあるのかも)、コマーシャル写真でお金がもらえるのは、「伝えたいこと」を伝えるために役立っているからではないか。報道写真はニュース性とかさ、重要性とかさ。
  • 結局お金じゃないんじゃん?
  • じゃあどうしたらいいのか。
  • わたしは誰に向けて写真を撮っているのか。撮るのか。
  • 現代詩に戻るが、「誰に向けて書いているのか、という問いに対して、あえていうなら自分に向けて、ですかね、と答えたこともまたテンプレートのようなもの」といった趣旨のことを読んだが、なるほど、と思う。
  • うける、受け入れられる、共感性。→それは写真を撮る目的ではない。結果。
  • 誰に向けて。ここ掘り下げないと何も変わらない気がするなあ。
  • それがわからない。ずっとわからない。
  • でも人物撮るのは好きだな。コスプレ写真より、人物写真のほうがたぶんわたしは好き、だし、撮ったひとに喜んでもらえたらうれしい。
  • あれ、ここかなもしかして。ぐるっとまわって。
  • 暴くように撮るのは見えるひとが頼まれてもいないのに「あなたの前世はこれこれこうで」みたいなことを言ってしまうのに近い、気がする。すこしだけ。
  • 生き方のはなしだ。