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雑多な日記

あ、だから

うだうだかいてたら頭の中、すっきりしてきた。自己表現、なんつーおかしなことを言ってるからややこしくなっているわけですね。そんなもんなんで求めようとした? と、いまちょっと思っている。さっきまであんなに表現表現いうてたのに。わたしのまわりにいるひとの多くが表現者だからか。それはもう、前からすごくすごくうらやましい。みんなのことがうらやましい。そんな才能がほしいと思う。だけどそれはわたしの性質に反する(気がする)。だから無理がくるのだ。いろんな方向に。
表現したい、と思うけど、表現はたぶん、使ったことも見たこともない道具を使って作ってみろといわれてるのと同じ。それもいずれは必要、かな、どうかな、でもそれは使い慣れた道具に行き詰ったときでいい。わたしは頭の中を言葉で説明もできないし、でてこなかったらでてこなかったでまあいっかというか、無理に絞りだそうというかんじはない。芽をつついて言葉のほうから近づいてきてくれたらラッキーってなかんじだ。そのときになればでてくるので、でてくるまではそっとしとく。ビジョンは遠くおぼろげにあるだけなので、やりながら引き寄せていくしかないのだ。ぼんやり考えつつ、やってみつつ、修正して、おや、こんなんでましたけど、ってのがいままでのやりかたかもしれない。そこはかえなくてもいいなと思ったりした。ただしそれは誰かといっしょにやるなら必ず迷惑をかけてしまう部分なのだよなあ。
わたしが自分に求めるべくは、あくまでも自分の感情と、無意識で動くくらい表出の手段を身体におぼえさせること。いま必要なのはもっと動物的なもの。