生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

140708 #BL読みノック 2首目

つぎつぎと炭酸水をやめていくコーラの群れにねむる水牛 (笹井宏之)

夏の陽炎のよう、と思う。

コーラの群れのなかでねむる水牛、というのは「大勢のひとがコーラを飲んでいて、そのそばで水牛がねむっている」という景色のようにも思えるのだけれど、水牛のそばで涼んでいる主体が体感している時間の繰り返しが「群れ」になっているとも読める。毎日の重なり合う景色。それが暑さのゆらめきにあっている気がする。主体は水牛と密接にかかわる生活をおくっているのかもしれない。

感じているのは長い時間、それは水牛と過ごしてきた時間かもしれない。そのなかでコーラは「つぎつぎと炭酸水をやめていく」。短い時間がつなぎ合わされて結果長くなっていくのだけれど、自分の持っている短い時間を惜しげもなく捧げ「炭酸水をやめていく」様子をながめて水牛とともにあること。(惜しげもなく、とわたしは言ってしまうけれど、それは主体にとってはあたりまえのことかもしれない)

コーラの群れと水牛をなにかしらの隠喩とするのではもったいない気がして、ただ、(いまは夏で、きみはコーラを飲みながら涼んでいて、水牛がそばでねむっている)その景色や、主体と水牛のとの関係にある愛おしさのようなものを思う。