生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

ぼんやりと

別離の時とはまことにある……朝がきたら
友よ 君らは僕の名を忘れて立ち去るだろう
                      原口統三

友よ
私が死んだからとて墓参りなんかに来ないでくれ
花を供えたり涙を流したりして
私の深い眠りを動揺させないでくれ

私の墓は何の係累も無い丘の上にたてて
せめて空気だけは清浄にしておいてもらいたいのだ
旅人の訪れもまばらな
高い山の上に
私の墓はひとつ立ち
名も知らない高山花に包まれ
触れることもない深雪におおわれる
ただ冬になったときだけ眼をさまそう

ちぎれそうに吹きすさぶ
風の平手打ちに誘われて
めざめた魂が高原を走りまわるのだ

友よ
私が死んだからとて
悲しんだり哀れんだりすることは無用なのだ
私にひとかけらの友情らしいものでも
抱いてくれるのなら
それはただ私を忘れて立ち去ることだ

世の中に別れを告げた私が
生きる人々のうちに
なお映像としてとどまることは耐えられない

私の墓を
いくたびいくたび過ぎる春秋の中で
人々の歩みと
やがては
忘れられた勝鬨さえ聞くことが出来るだろう

友よ
その時こそ私の魂は歓喜に満ち
その時こそ私が死ぬときなのだ
墓の中の魂は春にめざめ
再びの別れを
その墓に告げるときなのだ

友よ
その時こそ忘却の中で
大きな旗を
大空に向かって打ちふってくれ
その逞しい腕のつづく限り
私に向かって打ちふってくれ

友よ
別離の時とはまことにある
朝がきたら
君らは私の名を忘れて立ち去るだろう

「別離/長沢延子」


長沢延子さんは若くして自ら死を選んだ方なんだけど。
20歳くらいのときは遠いものに思えたえれど、いまはすこし違った風に読める。

この詩にあるのはいつか必ず訪れる瞬間と、そのあとのこと。

「いつか」は必ず訪れる。
だからこそ、全力で生きるのだ。