生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

都市のいきもの

仕事帰りに喫茶店に寄る。お茶をするつもりがついしょっぱいものを食べてしまう。テーブルに出てきたタバスコと粉チーズをまっすぐ並べると奇妙な満足感があり、物を組み合わせて並べる遊びを思い出していた。その場にあるあらゆるボトルをいちいち高さを揃えて規則正しく並べたりだとか。

今日ずっと、何かをジャッジすることについて考えていて、「平和」というひとつの言葉をとってみても個人で見えている世界が異なることに、いちいち驚いてしまう。ただ、もし、いまが「平和ではない/平和である」と言う人がいて、それはどちらも「ほんとう」なのではと思ってしまうから、嗤う気にはなれない。強く反発する気にも。ただ、平和な部分と平和ではない部分が入り混じって社会、というのがわたしにとっては本当のとこだとも思うし、じゃなければ、こんなに気持ちが揺れることもないだろう。
駅に掲げてあった「公衆に寄付を求める行為を禁ずる」といったような文言が繰り返しやってくる。禁止されなければならなかったこととして、切り離された光景。きっと数十年前には「あった」光景で、いまは「見えなくなった」光景で、なぜ禁止されたのかもわたしは知らない光景。こぼされたものを見送り、あるいは追いやる、もしくはそのことにより守られる、わたしのいる場所について。

 

スマートフォンにつなげるキーボードを見に行ったものの、どれがちょうど良いかを決めきれず。買うのは保留。