生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

もういないひとを連れて

日本ガイシホールで行われたJUJUのライブへ行く。去年の6月、同居人に誘われて国際フォーラムのライブへ行ったのが最初で、以来ぽつぽつライブがあれば行くようにしている。

JUJUは昭和歌謡とスナックが好きで、今回のライブも「スナックJUJU」と称してスナックをテーマに昭和歌謡を中心に披露している。高いヒールで気さくな話と歌声とともに進むライブはとても楽しく、主たる客層が40代〜50代30代~50代というのも関係しているのかもしれない、はっきりと知っている時代の曲というわけでもないのに不思議と懐かしい。

去年の6月歌を聴きながら、ああ、お父さんも連れてきてあげたかったなあ、と思ったのだが、今日もやっぱりそうだった。観ながら、父のことを思い出していた。連れてきたならきっと好きになったんじゃないか、そんなことを思って。

誰かがいなくなるということのかなしみみたいなのは、普段あまりはっきりと感じることはない。父が亡くなったときも、かなしいのではない、さみしい、と思った。今日もまたさみしい、と思った。あなたがここにいないことがこんなにもさみしい、ということをかなしい、と呼ぶんだろうか。

でもまあもういないから。いない時間を過ごしながら、時折、こうして知らないのに懐かしい場所に、もういない父を連れていくのかもしれない。

それもすこし不思議でさみしくて、たのしい。