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雑多な日記

どうでもいいこと

会社の昼休みに同僚と外へ食べに出て、帰りに「女性のためのセルフプロデュース講座」という紙を持った人を見かけた。あまり見るのも失礼であることはわかっていたのだけれど、ついその文字列が気になって見てしまい、女性のためのセルフプロデュースとはなんだろうな、と思った。「わたしらしく」といったような意味だろうか。それとも、「こう見せたい」という「わたし」を纏うことだろうか。自分のために自分を変化させる。それはとてもすばらしいことだろう。すばらしいことであるはずだ、と思うとともに、かくあるべき、といった視点も感じてしまい、いやいや、いやいや、どうなんだ? と考えていたところ、一緒にいた同僚が「講師が男の人でしたね」と言った。

「そうなの? ぜんぜん見えてなかった」

「そうでしたよ、男の人が女の人にセルフプロデュースを教えるってやばいですよね。わたしらしくあるために、とかだったらわかるけど」

だいたい、セルフプロデュースして、それを続けるってできなくないですか? 恋愛でも仕事でも。ずっと自分を見せたい自分として維持し続けるって大変ですよね。

わたしもそう思うよ、と答えながら、心のすみで何かが引き裂かれる。ありのままに、と言いながら、どう見られたいかはいつだって頭のすみにある。セルフプロデュースがだめなんじゃない。セルフプロデュースを男性が教えることがだめなのでもない。セルフプロデュースを、自らが選択できているのか、そしてその講座の内容は外からのイメージを押し付けるものではなく、意思をより自由にさせてくれるものなのか。

気になって、しばらく頭から離れなかった。

でも、もしかしたら、何か頼りたいものがあって、なりたい自分があって、みせたいものがあって、通うのかもしれない。通うことでより自由になれるのかもしれない。見せたい自分と、実際の自分を、近づけていく作業なのかもしれない。けれど、そういうメッセージにより引き裂かれるものもあり、同時に「男の人が女の人にセルフプロデュースを教えるってやばいですよね。わたしらしくあるために、とかだったらわかるけど」と言った同僚が若い男性であることに、ほんの少し安堵するのだった。彼はただ無邪気なだけかもしれない。

わたしのいまいる職場は女性のほうが多い。非正規職員が多いから、必然的にそうなるだけのことなのだが。次に変わる会社では男性の方が多い。女性はほとんどいない。あなたは大丈夫、と言われているけれど、どうだろうか。

ツイッターに疲れたので、しばらく日記を再開する。とりとめもなく、どうでもいいことを書いていきたい。