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雑多な日記

出来ること、出来ないこと

2016年も終わりに近づき、残り2ヶ月と少し、毎日が高速で過ぎていくので、一生もこんな風に終わっていくのか・・・みたいなセンチメンタルを抱えそうになるのはさむいからかもしれない。

日々は平和でありつつも何も事件がないわけでもなく、過ぎたことを振り返るとき、ああ相手のためにできることは本当に多くない、としみじみ思ってしまう。わたしたちがルームシェアをできているのは、まだ若く、体力もあって、稼ぐことにも今のところ困っておらず、自分のことは自分でやる、というルールが徹底できているからであって、それが崩れるとき、本当に脆くこの生活は終わるのかもしれない。相手のことが好きだとか、嫌いだとか、そういう感情の問題でなく、日々をどう暮らしていくか、それを支えられるのか、という現実が目の前に現れるからだ。

基本的に腐ハウスは日々のもろもろについて、「自分のことは自分で」をベースに「できる人がやる」というふんわりしたルールを採用している。当番制にしないのは個々が臨機応変に動いたほうが効率が良いからだ。だがそれもあくまで、みなが元気である、ということが条件になると思ったりする。けっこうシビアな条件だと思う。どんなに気をつけようとも、できる限りの努力で何かしらの悪いことを回避しようとも、病気だったり事故だったり、よくわからない厄災だったり、外から訪れるものについては本当に避けようがない。そればかりはわからない。

去年から今年にかけて起こったいくつかのかなしいこと。ここに書けることはほとんどないのだけれど、わたしはやはり「約束」は必要なんだろうと不意に思ったりする。それは「契約」と言い換えてもいいものなのかもしれない。

わたしたちの間には互いの生活を支える契約はない。あるのは自分ひとり分をきちんと支えたうえでシェアできるところはしていきましょう、という認識だけだ。誰かを背負う必要がなく、背負わせたいとも思わない。ただひとりで生きている個人が群れになっているのが実際であって、このままずっと一緒に暮らしていくんじゃない? という話をふざけてするけれども、そんなのはわからない。絶対にわからないのだ。ある日突然何かが起こることは往々にしてあるので。

それでも毎日できるかぎり楽しく暮らしたいし、助けられることも少しだったならあるだろうと思う。助けられるように準備もしておこう、と思うのも確かなのだ。それがかすかな希望であって、続けたいと思うならできる限り健康で、毎日淡々と無茶せずいきたい、と思ったりする。