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雑多な日記

世界線が交わらない

一昨日、家でひと付き合いの話をしていたのだが、今日あらためて、許せる部分、許せない部分、ひとそれぞれだなあと思ったりした。そのときは自分と同じ考えのひとと仲良くしたい、と考える場合と、自分とは異なる考えのひとと仲良くしたい、と考える場合とある、ということを主に話していて、ひとつの考えによりまとまっていくというのがわたし自身は少々よろしくないのではないか、という考えがあり、できればいろんな考えのひとと関わろうと思って~、なんてえらそうに言っていたのだけれど、結局のところ「その考えは嫌いだ」につきるのでは・・・・・・? と思ったりしている。

とどのつまり、わたしがいやだったのは、
なんで男性の一部って突然媚びてくんの? しかもなんで突然自分自身を消費させようとしてくんの? しかも暗に腐を見下してる発言しながら。ねーなんで?
そういう男性が無邪気に自分を消費させようとするとき、その無邪気さにくらくらするし、それは普段自分が消費される側にいないからなんじゃないかと思ってしまう。
あとそういう男性を持ち上げる女性の姿を見るのもしんどい。男性社会において、男性社会のルールにより評価されていくこと。「あいつはおれたちをわかっている、賢い女だ」と思われることに喜びを見出すこと。皆目わからない。
ということである。

そう思うと、わたしはそういうのイヤだなあと思うけど、別にイヤじゃない人もいるわけで、そりゃあ世界は交わらないわけだよなあと。だってそれも生存戦略のひとつなわけで。相容れない。つらい。

やーめた、っていろんなものから逃げても別にいやなものが消えるわけじゃないし、地獄みあふれる~とか笑ってても損なわれていくものもあるわけで、だったら自分のなかできちんと、「その考えは嫌いだ」と主張していくしかないのかやっぱり? というのが今日の見解。