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雑多な日記

怒ること、戦うこと、怒らずに戦うこと

些細なことが積み重なって自分のなかのダムみたいなものが決壊し、悲しみを砂みたいにべーべー吐き続けて数日、迷惑も心配もかけただろうに幾人かのひとからメッセージを受け取って、あらためて、怒ること、戦うことについて考えた。

何事もなく、ただ好き好んで怒るひとというのもそう多くないと思う。少なくともわたしは。ほぼほぼ理由があって怒ってきた。同時にできることなら怒りたくないとも思ってきた。怒るのは疲れる。すごくすごく疲れる。それから損なわれる。自分のなかの何かが。でも怒らなきゃいけない場面というのはあって、だから怒ってきたのだった。怒るのも戦うのも下手ではあったが、下手なりにやってきたのだと思う。

わたしはみんなに怒れ、とも、怒って戦え、ともいえない。それはその人自身の考えることだからだ。怒るひと、怒らないひと、戦うひと、戦わないひと、戦いかたもいろいろだし、いろいろじゃなかったら困る。だからそこはいろいろでいいのだとおもう。

ただいくつか思ったことのひとつは、どうか怒っているひとに自分の怒りを肩代わりさせないでほしい、ということ。怒っているひとはあなたの怒りのために怒っているわけではないのだから。

それから怒らないことは賢いこと、みたいなのもやめてほしい。一見それは正しいことのように見えるかもしれないし、実際そういう場面もあるのかもしれないけれど、怒りとともに戦ってきたひとがいるからこそ、やっと届く言葉、というのもあるのでは、ともわたしは思う。少なくとも、わたしはそうして先人や幾人かの友人が戦って切り開いてきてくれたからこそたんたんと話せる場面があったし、それをなしにして、冷静に話しをしてこそ届く、なんて、それは声の届くところまで道を切り開いてきたひとたちを無視するものだと思う。

そうはいっても、と、みんなそれぞれ、それぞれのやり方で戦って進めたなら、みたいなことも思うけれど、でもできることなら戦わずにいられたら。戦わなくていい世界になったなら。そういうことをやっぱり考える。