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雑多な日記

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気まぐれにケサランパサラン培養して暮らしたい。


6月5日
相変わらず声が出ない。

それよりなによりエネルギーが有り余っているかんじがする。風邪はひいているのだけれど、どこにも向かうところのないものが体のなかで走り回っている。何かしないとだめだなあ、と思う。立ち止まっているのは性に合わない。けれどどう動いていいかもいまはわからない。だけど好きにしたいと思う。好きにしたいんだ。誰のため、とかじゃなく、自分のためだけに動きたい。

なにをどうしたらいいんだろうなあとぼんやり途方にくれて、誰かに寄りかかることも考えたけれどそんなことできそうになかった。寄りかかろうとしなくたっていつでもわたしは壁にくっついているようなものなのに。

自分の正しさを証明しようとは思わない。後ろ指さされたってへいきだ。好き放題やればいいのだ。あれは運動のようなものなのだから。呼吸とそうかわらないのだから。息の仕方まで指導されてはたまったものじゃない。上手に息を吸えなくたってかまわないのだ。ほめてもらうために息を吸うのではないのだから。知らないのはやり方じゃない。

こうやってとりとめもなく文字だけが自動的にはきだされていくのは本当に本当に意味がないよなあ、と思うのだけれど、はきだしていないと思わずぷっつりどこかへいってしまいそうなので、この地にとどめておくために書いておく。

自分のためだけに生きるのはたいへんだ。自分のためだけに動きたい、といいながら、わたしはいつだって誰かにゆだねてきたのだろう。自分のことも、なにもかも。いいよ、っていうのは楽だったから。

ああでもいま書いていたらふと、「旅で撮れる写真を自分のものにするのはむつかしいよ、それは撮ってるんじゃない、撮らされているだけだよ。旅先なんて絵になるものなんだから」というのを思い出して、そうだな、と思う。わたしに必要なのは旅に出ることではなくて、旅をやめなきゃいけないのだね。たぶん。自分だけの小さな世界にまず降り立つ、ということ。

がむしゃらになることを、まずやめる。