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雑多な日記

これはあいいがいのなにものでもない

起きる気にならなくて、一日ごろごろして過ごした。夜になって工房に行き、帰りにスーパーに寄って買出しした。
夕飯を食べつつワインを飲んで、母と電話、そのあとIさんと電話。酔っぱらってどうしても声が聞きたくなった。
1週間でIさん切れになることはないけれど二週間に1回はどうしても声を聞きたくなる。どうでもいい話から、いろんな話まで。家族に電話をかけるのと似ているなあと思う。母に電話をかけているのと同じテンション。家族の話であるとか、近況を聞きたくなって、大丈夫だと安心する。元気だとうれしい。もう家族のようなものだなあとも思う。

最近、父の容体があまりよくない。ただ予想していたよりは良いらしい。昨日検査にいって、先生の想像よりは進行しておらず、次回から整形外科の先生にもはいってもらうことになった。父は抗がん剤治療を拒否していることもあって、積極的治療をするのではなく、いまはもう緩和ケアのみなのだけれど、骨への転移をふまえたうえで(母は言わないけれど、おそらくもう転移はしているんだろう。)、背骨への転移による歩行困難などを避けるための処置を整形外科の先生とも相談していくらしい。

父のことは頭でわかっていても、その時を思うと涙が出てきてひとりで泣いてしまう。その時ができるだけ遠いといい。
しかたのないことだとも思ったりする。けれどなによりもその後の母を想うと、ぼろぼろ涙がでてくる。父を愛している。冗談でなく。みんなみんな愛しているけれど、母が一番愛している、と思う、ので。

できるだけ長生きしてほしい。その時ができるだけ先だといい。

そのときがきたら実家に帰る。兄と母の関係も心配だから、そうなったら母のそばにいたい。それまでにちゃんとわたしは自分の力を蓄えなくちゃ。ちゃんと地元で仕事をできるだけの力を蓄えておかなくちゃと思う。こういうとき逆に東京は楽だなと思ったりもしてしまう、大変さの種類が違うので、どっちがどっちとはいけないのだろうけれど。

愛しているんだなと思う。お母さんとお父さんを愛している。愛している、って言葉が適当なのかはわかんないけど、でも一番近い気がする。

ぼんやりこういうことを考えているとき、自分のなかにもこんな感情があったんだと、はっとする。

誰にでもあることだろう。でも自分にとっては特別なことだ。そういうことがあつまって、世界があるんだと思う。

毎日を大切に生きたい。