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雑多な日記

深呼吸

こないだひどく打ちのめされた日に、工房に寄って帰ったのです。窯をたきながら土を触っていてつくり終えるころにはマイナスのものはすべてどこかにいっていたんだけれど、切実に作らなければならないときがあるとするなら、それは生きるためのとき以外にないのかもと思いました。大なり小なり生き抜くためにそれをするとき。それは誰かからの評価のためではなく、ただ自分の呼吸のためにあるのだと思う。

だからというわけではないのだけれど、いま「写真を撮りたい」といったイヲナさんの気持ちをようやっとわかるというか、ああそうかあと受け取って頷けるような気がするのです。

ものは本当に必要じゃなければ作らなくていいとわたしは思う。上手下手の問題ではなく、必要かそうでないか。自分にとって、誰かにとって、必要だと思う気持ちがものをつくってきたのだしつくっていくのかもしれないよなあと思うのです。

切実に必要なもの。歌ったり唄ったり読んだり詠んだり書いたり描いたり折ったり織ったり作ったり造ったり創ったり。そういうのってある。