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雑多な日記

すきま

3月末から仕事の合間をぬって自分の文藝について考えていたのである。ここを見ている方はご存じだと思うが短歌を作ってみたり詩をかいてみたり俳句を投げてみたりして答えを模索していたわけだがどうにもこうにも落ち着かず、結局散文とかっこつけてみようとしたがどこまでもただの日記というところに落ち着いているわけである、いま、これをかいている、いま。わたしの作ったものなぞせいぜい「つぶやき」になればましなのであって、はーあ、結晶のような、鉱石のような、雨粒のような、つゆくさの以下略、みたいな美しい言葉にあこがれたところで生み出せるわけではないのだな、としんなりしている。それでも書くというのだからこれぞ下手の横好きというやつである。

今日は朝から1万年後の未来について考えていた。1万年くらいたてば外の宇宙のひとと確かな形で友達になっているのではないかと思ったのである(1万年後も地球がまだあると仮定して。かつ人類はいまの形をしていないかもしれないが、それもまあよしとして)。宇宙のひとが観光に日本にやってくるような、そういう未来。宇宙のひとに「いや、これちょういいものなんですよ」って言って工芸を見てもらう未来。そういうことを考えつつ、1000年後、100年後、10年後、と時間を巻き戻していって、いま自分に何ができるか、ということを考えようとしたのである。

1万年後に地球の資源が枯渇していたら困るから、作るだけじゃなく循環する仕組みを作っておかなきゃいけない、だとか、無駄なく使う方法について、だとか、そもそもそんなにも物を作る必要はあるんだろうか? だってあふれてるしなあ、というそもそもな話を考えたりしているうちに時間が過ぎて、結局まだ現在のことにまでたどり着いていない。そう、でも、お金の代わりに宇宙のひととはものと資源を交換してもらえば良いのではないか、ということは思ったのである。外宇宙の、とある星で、その星の土でうつわをつくるとかね、良いじゃないの。

これからの10年、きっと日本ともっとうまく付き合っていく方法があるはず。それを考えるための、1万年。これからのことも、今日のことも。今日、明日、明後日、1ヶ月後に向けて、どう生きていくか。1ヶ月後の先には1年があり10年があり100年があり1000年があり、地球が存在しても、していなくても、わたしたちが死んで、人類が人類でなくなって、それでもなお続く1万年(があるのだという仮定)。

天の川で地球産のニンジンがブームとかさ、さそり座のあたりで地球風味ソフトクリーム(feat.アンタレス)500食限定で発売とか、銀河の民が地球にホームステイとかさ。なんというか、ハッピーな気がする。