生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

おくる

今日のほぼ日(http://www.1101.com/home.html)にて連載がはじまった、平了さんと糸井さんの対談。それを読んで、この花火大会を知りました。平さんの記者会見の様子も第一回にて読めますが、この花火大会の意図や趣旨を読んで、ごくごく個人的な感情から、これは本当に必要だと思いました。

花火大会? と言わず、とにかくまず、趣旨を読んでもらいたい。⇒http://www.1101.com/schopdan/2012-02-08.html

3月11日からもうすぐ1年たちますが、この1年、各々に小さくも、大きくも、いろんなかたちで震災について、今日のことについて、これからの未来について、考えてきたんじゃないかと思います。何ができるか、どうしたらいいのか、迷ったり混乱したり、いまだってわからないことは多いです。そんななかでわたし自身、3月11日に関しては空を切るような感覚からなかなか抜け出せずにいて。でも最近になってやっとこ気持ちが周りに追いついてきたかんじがするんです。

東日本大震災は、
2万人の犠牲者が出た1件の震災ではありません。
悲しい1件1件の事件が2万件も起きたのです。

平了さんがおっしゃっていること。本当にそうだなと思います。
これからのこと、いまのこと、自分自身が一歩ずつ地面を踏みしめて前に進むためにも、花火大会に賛同します。支援もまだ受け付けています。詳細は上のホームページをご覧ください。


たぶん今だから心から賛同できるし、支援もできるんじゃないかなと思いました。どうしたらいいかわからない、という不安の中でする手さぐりのものとは少し違っていて。3月10日までの日常、3月11日のこと、それから今日まで。すこし外に向かって考えられるようになってきたのかなとも思っています。わたしに出来ることもこれからもっと増えていくかもしれない。

日々を、遅くてもいいから歩ききること。日常に根ざして生きること。目の前で起きていることについて、見て見ぬふりをしないこと。それから被災地を息長く支援していくこと。いま自分にできることはきっとそういうことなんじゃないかと思っています。