生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

おひるやすみはうきうきうぉっちんぐ

チョコレートケーキ(主人)とプリン(メイド)の散文。
今度出すROMのね、妄想ですよ。実際に小説はつきません。




 生まれたときから死ぬまで変わらぬであろう事実がある。

 わたしはわたしで、わたしの母はわたしの母で、わたしの母の母――つまり祖母はわたしの祖母で、祖母が以前は別の人だったという話も聞かないけれど聞かなくとも祖母や母(に限らず叔母や姉も)とわたしの間には切っても切れない血の連なりを感じる――みんな耳の形がそっくりだ。
 それを思うとき、わたしは決まって主人のことを想う。わたしの主人はその変わらぬ事実を前に己の想いをずっと抑えつけてきたのではないだろうか、などと余計な事を考える。主人はそんなことはないよと穏やかにこたえるのだろうが。
 男子は全員軍人となるといってもいいほどの血筋に生まれ、父親は当代きっての切れ者をいわれる参謀であり、兄は皇太子の身辺警護をつとめる近衛師団長、親類も軍に関わるものばかり――そのなかにあって主人は軍人というより音楽家と呼ばれたほうがしっくりくるような、音楽を愛する、物静かなひとであった。軍人としての力がなかったわけではない。劣らぬだけの力があったからこそ、若くして師団長となり、何度となく最小限の力で敵を退け、国を守ってきたのだ。
 だがその血を流さぬ戦い方ゆえに、幾人かの野蛮なものたちからは悪意を向けられ、腑抜けを罵られることもしばしばあったと聞く。主人自身、軍人である己をけっして好んでいたわけではないのに――とはいえ己の生まれた家を、身体に流れる血を悪とは思っていなかっただろう。その家に生まれ、ひとりきり存在しているのではなく、全ては流れの中にある。子供のときは音楽家になりたいと思っていたものだが……それがかなわぬことも自ずと気付いた。軍人となることはいつしか私の選ぶ道であると思うようになった。少なくともその力が私にはあるのだから。
 運命に不満を漏らすことはなかった。けれども主人の眼はいつもどこかさみしげで、森にいる草食動物、そう鹿のようだとわたしは思っていた。これを言ったとて主人は怒らなかった。まったくおまえはひとことも二言も余計で、と苦笑いをうかべただけだった。
 主人に婚礼の話がきたのは雪深いある冬の日のことであった。御父上に呼ばれ、告げられたという。顔も知らぬ相手との結婚。断ることもできたはずだが、主人はいつものように少しの波をたてることもなく了承したのだった。
 悪いお話でないことはわかっていた。喜ばしいことだと、そんなことはきちんとわかっていた。
 悪くない話で、よくある話だからなんだというんです! ご主人様が今まで何者にも逆らわず、ただ運命を受け入れていらしたこと、わたしは存じ上げております、だけれど胸に想う方がいらしたことだって存じ上げておりますよ! それはそれ、これはこれ、などと言えるはずがないのです! その方と駆け落ちのひとつでもなさったらよかったのです! 一度くらい、己の運命に逆らったって! と詰め寄ったわたしに、そんなこと、起こるはずがないだろう、彼は私が唯一そばにいてほしいと願った、ただひとりの友でもあったのに、と主人は答えたのだった。
 そう、唯一の友だったのだ――
「守るものがあるのは幸いなことだよ」
 私にはなにもないと思っていた。戦場にあっても、どこにあっても、私のこころは空虚で、目に映る世界はぼやけてみえる。ほしいと思ったとて、私の前にあるものはいつも身体を通り過ぎ、遠いどこかへいってしまうのだとばかり――だが私にも守るひとができるのかもしれない……守ることが、できるのかもしれない。
 それは幸いではないだろうか?
 この国のためではない。家のためでもない――ふふ、こんなこと許されないのだろうね――たったひとりの、誰かのために、日々を守ること、そのひとを愛すること……それは私にとってはただひとつの希望なんだ。子供のお願い事のようなものだよ。神にはじめて心から祈った。どうか、私から希望を奪わないでくださいと、愚かにも。
 
 何も言えなかった。詰め寄った自分を恥じた。愚かなんて、そんなことは、ともごもごつぶやいて、わたしは差し出されたご友人への手紙を預かることしかできなかった。

 わたしはその夜、胸の前で手を組んで、ただひとりの主人を想った。今を、これからを、そしていままでの、主人が抱え続けてきた「自分」という枷について考えた。考えたところでわかるはずはなかったのだけれど、それでもそうせずには、祈らずにはいられなかった。
 雪深き森の中で主人はただひとり立ち尽くしている。そこには何者も入ることはできない。家族はもとより、ただひとりのご友人であったとしてもはいれなかった場所だろう。いや、はいってくるなと主人が先に全てを閉ざしてしまったのかもしれない。でもわたしは思うのだ。主人はきっとあのさみしげな目で、そっと森の外を見つめ続けてきたのだ、と。
 永遠の冬の中で主人は脚を折り、白き雪に身体をうずめる。瞼を下した先に見えるは光であろうか。
 窓の外では雪が吹雪き、世界を白く染め上げている。
 婚礼は雪解けを待ち、花咲く季節におこなわれると聞いた。


(どうか、どうか、あの方にたくさんのキスを)