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雑多な日記

20111001 まとめ(20110921のを再UP)

昨日Iさんと話していて、公開しておいてもよいかなと思ったので、アップしておく。自分のための記録。

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大人になったんだなあ、というか、してもらったというか、なれたというか、しみじみ感じいる。


わたしはとてもわがままで、学校にいても、仕事をしていても、最終的には自分のやりたいほうにしかいかないというか、こうしたいんだ! ってなったらこうしたいんだ! で動いてしまうので、周り(とくに母)は大変だっただろうと思う。会社では別に無茶しないし従順なもんですけど、自分のこととなると。本人は、好きな事してるから別になんにも問題ないのだけれど、そういうのをいい迷惑ともいうわけで、ひやひやすることもあっただろうにぐっとこらえて見守り続けてくれた両親には本当に感謝しています。

何故ひとはいきているのか、というのは誰しも思うことかもしれないですが、子供のときから何故生きているのか、というのをよくぼんやり考えていました。シリアスなかんじではないです。ぼーっと、なんでひとっていきてんのかなあ、みたいな、なーんでわたしってわたしにうまれてきたのかなあ、といったような。素朴な疑問。「ぼんやりしている」、とわたしはよく書くけれど、それはこれに近いです。途方にくれているわけでも、どうしようと焦っているわけでもなく、なーんだろなーとぽやっと考えている。素朴な疑問で、かたちも定かでないやわらかいものをこう、もきゅもきゅと手ににぎりこんでるかんじ。子供のころからわたしはあんまりかわってないのかもしれない。

「何故人は生きているのか」という問いは考えるタイミングによっては恐ろしい思いにもとらわれることがあるので最近はほどほどにしていますが、それと同じようにして学生のときは何故勉強するのか、何のための勉強なのか、何故ここにいるのかと、社会に出てからは何故働くのか、何のために働くのか、自分はどうしたいのか、どう在りたいのか、と考え続けてきたように思います。
それはいまもなお継続中で、飽きもせず、ようやるよなーりくつっぽいなー考えたってしかたねえじゃんと思うけど、それでも考えるし、考え続けるのだろうとも思う。考えて、動いて、動いて、また考える。その繰り返し。

子供の時は夢見がちで頭の中でばかり考えていたけど、大人になって動けるようになってきて、体はすこし軽くなりました。なんかね、ずっと重たかったので。投げ捨ててしまいたかった。いまは最後までつきあっていこうと思えるので、大人になってよかったなあと思います。動くのが先か、考えるのが先かよくわからないけど、その繰り返しが実にたのしい。

最近思ったのは、わたしが一番好きなものは物語で、かつ、アニメや漫画もやっぱ大好きなんだなと。ばっちり腐ではありますが、それ以上にわたしはオタクだ。
なんだかわたしのなかの変な信仰だったのかもしれないけど、一番好きなことを職業にしなきゃいけない、みたいな、そういう思いがずっとあって、だから漫画家とか声優とかアニメーターとかあるいは小説家、そういう職業に憧れつつ、かといってとくに大きく踏み出すことなく(うだうだね)、いままでやってきた部分がある。もちろん今も書くのは好きだけど、なんというかイコール職業にしなきゃならないわけでもないんだよな、ってやっとすこし思えた。自分の今書いてるものをただの自己満足だと笑う必要も、「書いてる自分」を恥じる必要もないんだなって思うし、書くことがいまは呼吸にすごく近いから、いつの間にか書くことは日常になったんだなーと。あーこの子らはそばにいてくれるんだなあ、みたいな。

言葉、というか日本語、はわたしにとって、ボールは友達さ! じゃないけど(笑)、お友達みたいなものです。近しいもので、愛しいもの。寄り添っていてくれるもの。物語を教えてくれるもの。自分の思い通りにはならないものだし、使うものって感覚はあまりなく、生き物に近い。まあ何に対してもわたしはわりとそういう感じ方をするから、あれなんだけど。土もね、そういうかんじだし。

いまは身体で感じたものは声にはならずともきちんと文字になって出ていく。外からも飛び込んでくる。自分の世界と書くこと、読むことがすーっと一本の線でつながったような、そういうかんじです。

だからかもしれないけれど、次に一歩進めるようなそういう思いでいます。
自分のそばに書くことがあってよかったと思うし、大人になれてよかったなとも思う。物語は何にでも宿るわけで、世界をみていれば物語が尽きることはない。それもまたたのしいな。

さてさてわたしはこれからどう転がっていくだろう。

そんなことをぼんやり、とりとめなく。
きたないとかきれいとかかたいとかやわらかいとかいとしいとかくやしいとかにくいとかきらいとかすきとか書ききれないいろんなものをぜんぶぜんぶひっくるめて、世界のことについてぼんやりぼんやりおもうのです。