flat

雑多な日記

2011夏の総括らしきもの

あまりに得たものが大きかったので。
これを残りの4カ月に、それから来年につなげたい。

今年の夏の、一番の収穫は写真をもう一度、きちんと好きになれたってことだと思う。
きらいになってたわけじゃないんだけど、好きって言いながらも複雑な気持ちがあったところに、素直な「好き」がのっかったかんじがする。写真を心底、文章と並ぶくらい、陶芸と並ぶくらい、大好きだって思えた。そういう瞬間があった。それってすごいことだ。わたしのなかで、ほんとにほんとにすごいことだ。あんなにもうできないって思っていたのに。

撮る量が増えて、写真を選ぶ作業に関わってるうちに、20歳のときを思いだして、あぁ写真ってこんなに楽しいものだったんだと思った。写真をそんな風に思えるなんて。やりたい、がやらなきゃ、にかわって、いつしか、できない、になってたのに、もう一度こんな風に楽しいって思えるなんて、涙がでてきそう。それくらいうれしい。ちゃんと好きになりたかったんだと思った。うまいとかへたとかそんなのどうでもよくて、自分のへんな欲もどうでもよくて、素直に、ただ大好きっていいたかったんだと思った。これは間違いなく周りの人たちのおかげだなあって思っています。

デジタルについても考えた。今までデジタルの写真についてちゃんと考えたことってなかった。自分がどうデジタルでの写真に関わっていくか。どういう写真を撮っていくか。まだまだ考えてる。

わたしはどこかデジタルを軽んじてきた部分があると思う。フィルムのほうが、ってのがどっかにあって、デジタルを大事にしきれない部分があった。けど今回いろんな人の写真をみるなかで、デジタルには可能性があるなと思えるようになりました。

デジカメを選ぶことはカメラを選ぶのと同時にフィルムを選ぶこともあわさってる。カメラそれぞれに癖があって色があって特性がある。そのひとつずつを確かめて納得して、使いたい。




自分の使っているカメラを、使っていくカメラを大事だな、って思える気がした。そこから覗き込む世界を愛しく思える気がした。いまそういう可能性をいっぱいかかえて立っています。



写真をやっててよかったと思う。
いままでの時間は無駄じゃなかったんだって思う。
わくわくとどきどきと。




それを持っていまここにいます。