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雑多な日記

誇りのはなし

さっきぼんやり考えてて、自分の中の誇りを自分で認められなくなるととたんにバランスを崩すんだなあと思った。たぶん自信と言い換えてもいいんだろうけど、わたしのそれは「やる」なかにしか認められない。なんにもやらないでいて認められる自信も誇りもない。手を動かしてはじめて得られるものがある。しきりに人間扱いされたいと思うのは、一番は自分が自分を人間扱いしたいからだ。人間だと、ひとりの人間だと認めたいからだ。戦いたいからだ。自分のずるさ弱さと。他人から与えられるもので誇りを満たすことはできないのだと思った。そこからもらえるのはあたたかな感情。褒めてもらえるのはうれしい。でもそれを聞いて喜ぶ前に「手を動かした」って事実がないと素直には受け入れられない。自分を認めてはじめて自分から自由になれる。

生きたいならやるしかないのだ。生きたいからやる。

しかしいつまでわたしは生きるか死ぬかでしかものを考えられないのか。
この穏やかな日常において。

(追記)
人間って変わる。これでいい、と思っていたものが、いやよくない、と思う瞬間がある。それは上には上がいることを知るからだし、そこから自分に不満を持つからだ。いまの自分に満足してちゃあ、と思うからだ。伸びしろは、まだある。(たぶん)