生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

おりかさねたもの

7月に入った。関東はまだ梅雨明けしていないが、夏日が続いている。毎日暑い。
年々夏が好きになる、というのは去年も書いたが、今年もまた夏が楽しい。太陽の動きにあわせて目覚めるのも自然と早くなっている。夏の、水を含んだような青い空気は美しいよなあ、と毎朝思う。今日は目が覚めたとき、祖父が庭に水をまいている気配を思い出した。土が水にぬれていくにおいと、植物が水をうけて元気になっていく。そんな気配。15年以上も前のことなのに鹿児島で過ごした夏休みは未だに色褪せることがない。あの夏休みは何度だって繰り返したいとも思う。
昨日は後輩と立ち飲みで小一時間飲んだあと、初台まで同僚の顔を見に行ってきた。失恋したのだといって仕事を休んだのだった。先週からずっとその話を聞いて、なんやかやと自分なりのアドバイスをしていたのもあり、泣いているかもしれないと心配になった。案の定泣いてはいたけれど、思っていたより元気そうで安心した。
公園のベンチに座って、
ぼろぼろにされたい。
と、その子は言って、
よくないよ、そんなん。
と、わたしも言った。
何がよいか、悪いか、なんて自分の基準でしかないし、その人がどうしてもそれを選びたいといったら止める術などないけれど、親しい人が泣いているのをみるのは楽しいものではない。まだ好きなんだ、というその子には悪いなと思いながらも、その子が好きだという相手のことを散々悪く言ってしまった。
昨日は風が強くて、いたるところに風の通り道ができていた。その子が来るのを待っている間、ずっと車止めに座って、風が流れていくのをみていた。
夏です。