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雑多な日記

地震

なんといえばいいのか。

職場が免震構造のビルだったせいか、きっと都内にいた他の方より身体に感じた揺れは少なかったんだと思います。ビル全体が揺れにあわせて揺れるのでパソコンが倒れたりといったようなことはありませんでした。キャビネがずれたくらいで机の下で揺れが収まるのを待ったあとも逃げることなく、普通に仕事をしていました。
避難を誘導する放送が入ったときも、誰もが「え、ほんとに避難するの?」というかんじだった。身体で感じていない、というのはそういうことなんだと思います。どこかで大きな地震があって、それで東京も揺れている、そういうことなのはわかっていました。けれど現実としての危機感ないんです。水も出るし、電話もまだつながっている。パソコンもネットも問題ない。揺れは大きいけど、というような。結果としてけが人もなく、全員が無事だったことはよかったと思います。免震や、あるいは自動消火装置。そういうものにわたしたちは守られた。ただ流れるままに守られる、ということは、感覚的な意味で、本来ならわかる物事の大きさがみえなくなってしまうことなのかなとも思いました。そう思うのは今無事にこれを書いているからなんですが。ううん、むつかしいな。強い余震が続いていることや動かなくなった電車、コンビニのからっぽの棚を見て、地震によって発生したものを見てやっと身体で意味がわかったというか。わたしはそういうかんじでした。
地震が起きた時点で携帯で連絡をとるのはあきらめ、基本的にはtwittermixiで友人たちとは連絡をとり、家族はお義姉さんとe-mailでつながったので、そこからたがいの安否確認をしました。幸い家族はみんな無事でしたが、父と兄は会社に泊まるとのことでした。父の身体を思うと、それがつらかった。
JRが運転を終日見合わせたため、わたしも早々に帰るのはあきらめて、毛布の貸出もあったので、会社に泊まるつもりでいました。コンビニに買出しに行き、水と食料を買い、食べながら仕事をしていたところ、9時前くらいでしょうか、地下鉄が運転を再開しはじめたという情報がはいったのでだめもとで帰ることにしたんです。人がみっちりすし詰めになっていて、押し込もうとしてもこれ以上入れない、そういう状態でしたが、それでも2時間くらいで家にはつきました。
部屋も大きな問題はなかった。おきっぱなしになっていたPHSのほうにメールがたくさんきていて、とにかく自分の無事を知らせるメールを送り、ガスがとまっていたので、その復旧だけして、テレビをつけたら、流れる惨状に眠れなくなってしまった。結局深夜までニュースを見ながら荷物の整理をしてから寝ました。

今日は朝からいろんな情報に触れて、意見に触れて。頭がちょっと迷子になりそうだったので買出しに出て、いつもと同じ景色に胸がいっぱいになりました。スーパーへいって、野菜や魚が品薄ではあるけれど、みんな普段通りに生活している。そのことは幸いだと思いました。
ごはんをつくること。たべること。それができるのだからやろうと思いました。ごはんを作りながら、うつわのことも考えました。ごはんを作り、食べる。そのことを考えました。
被災地の方々のことを思うと胸が痛みます。
余震はあれど、わたしは日常にいます。元気です。
みんなみんな、ごはん、たべましょう。たべられるひとはしっかりたべましょう。それから動きましょう。いま何ができるのか、まずはごはんたべてから考えましょう。そうしたらきっともっといいアイデアが出てくる。元気も出てくる。いつもの仕事だってはかどります。
できることはたくさんある。節電だってそのひとつだと思います。足りないというのなら、足りるようにわけあえばいい。無理をするんじゃなく、できると思ったことをやればいいんだと思います。伝わるのが早いか遅いかの違いはあれど、日常を守ることもちゃんといろんなところに還元されていく。

いま、がんばろう。