生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

1月14日 家族会議の末

考えるのをやめた。どうやるかを悩むのではなく、やるかやらぬかを悩むときは大概気持ちはやらぬほうへと傾いている。やらぬと決めることもまた後々の自分に響きそうであったので考えるのをやめ、とある黒い茶碗の写真を見て美しさにほれぼれしたのち(黒い墨で書いた象形文字のような美しさなのです)、そのテンションのまま、なんとなく自分もできるような気になって乾燥させていた湯呑みの削りをやったものの、かたちのやぼったさにがっくりして、今。先は長いし遠い。
昨日、Fちゃんと根っこについて話をした。何かを作る、その方法や使うものはかわれども自らの根はかわらない、体の中心から大地に向けておりている一本の線からそれは流れ、あるいはにじみくるのではないか。
こころを表現するひと。こころが表出するひと。
その違いについて、ぼんやりする。