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雑多な日記

余白

床も壁も天井も、どこもかしこも白く塗られた部屋の真ん中にB5サイズほどの紙がおいてある。紙の色も白なので、目をこらさないと見えない。手には思った色で描ける色鉛筆が一本。ポケットをさぐると鉛筆削りが出てきた。消しゴムはなし。気付けば身に着けている洋服も上下ともに白、靴ははいていなかった。外反母趾ぎみの足の、小指の爪はなくなりかけている。
しゃがみこんで色を塗り始めた。紙を見ていたら塗りたくなったのだ。隅から中央に向けて斜めに、それに飽きると真ん中から外に何本かの線、マル、◆、▽、ひしがた、ほしがた、六角形。色は全て青であった。緑を思い描いても青になった。わたしは(わたしが誰だか忘れてしまったのだが)よほど青が好きらしかった。
朝からそればかりを続けているとB5の紙は夜には――といってもこの部屋には窓はないから、本当に夜になったかはしらない――いっぱいになってしまう。紙がいっぱいになればなるほどおなかはすくのだが、この部屋の空気はどうやら食べ物と同じ効果があるらしく、深呼吸をすればおなかはいっぱいになるのだった。なるほど霞みとはこういうことか、などと言うととたんに腹が満たされなくなるので、ありがたくいただきますと挨拶はかたちばかりに言うようにしている。腹が満たされると眠たくなる。また明日、と耳元で鳥が鳴き、おまえはどこからきたんだい、などと話しかけているうちに眠ってしまった。
目が覚めると青く塗りつぶしたはずの紙の端や中央に、1センチ四方の余白があられのようにできていた。奇妙なこともあるものだ。眺めていれば余白はあれよあれよと大きくなって真っ白の紙に逆戻り、ははあ、だから消しゴムは要らなかったってわけだな。わたしは再び紙に向かった。
昨日はめいっぱい塗りつくしてしまった。今日は波の絵でも描こう。
紙へと垂直に色鉛筆をあて、さらさらと線を引く。紙の上から波はたちあがり、紙を大きくはみ出して、部屋の隅に向かって、ざざあ、ざざあと寄っていく。床に突如開いた穴からカニなどが穴からでたりはいったり、それを見るのがおもしろく、床にも波を描いて海を作った。紙は海の色となり、波にゆられて足にはりついた。ざああ、ざああ、という波の音があまりにおいしそうなので、その夜は波をするすると飲み込んでから眠った。波はサトウキビの茎のようにしゃくしゃくとしていた。
翌日も、そのまた翌日も、目覚めれば紙には余白ができていた。わたしはその余白に絵を描いた。色を塗った。あるときは森であり、あるときは海であった。街であることもあった。子供のてのひらばかりを並べ、老人のしわのごときへなちょこの線ばかりを描いた日もあった。余白は増えたり減ったりを繰り返した。色鉛筆も握れば隠れるほどの長さになった。鉛筆削りの刃はくたびれてきたようで、けずるたびに、もっとやさしくしてよなどと言うようになってきた。紙の大きさになれ、近頃は紙をはみだして部屋の床やら壁にまで絵を描いているが、今朝は夜に描いたふた葉が本物の芽になって飛び出してきた。