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雑多な日記

9月14日、こころうごく

横着してラー(略)
一緒に仕事をしているおじさまがたに「しかたないなあ」と思うことは日々あれど、わたしが彼らの手のひらの上でそう思わせてもらっているだけであって、やっぱり長く生きている経験には敵わない。「自分に与えられたこと、やるべきこと、地味で、遠回りに思えるかもしれない、それを地道にやっていく中でしか出来上がってこないものもあると思うけどね」。
優しい。優しいと哀しいは似ている気がして、泣きたくなった。
若者の、といったって数年しか変わらないはずの彼らの、研ぎ澄まされた感覚とむき出しの野心を前に息苦しくなって、どもってしまった。ぎらぎらしていて、ちょっとこわい。彼らが悪いわけじゃないんだ。ただわたしには受け止めきれない何かがありました。こんなこと言うと何いってんのって言われそうだけど、静かに余生をおくりたい。毎日の生活と季節の移り変わりと、あとほんの少しの本と、友人。家族。犬。猫。鳥。魚。大きな木。ひなたぼっこ。夏の終わりのヒグラシの声、夕暮れの青の群れ、うっすらと青い朝、スイカ割り、子供の声、機織の板を踏む音、扇風機の回る音、雨にぬれた草の匂い。いまはまだ夏だから、夏のイメージばかり浮かぶ。
野心を持てといわれたことがある。わたしに野心があるとするなら、というか、やりたいこと? があるとするなら、生活と周囲の人をできるだけ守ること、文章を書くこと、それに尽きる、けど同時に一生続くものでもある。尽きるけど尽きない、毎日の生活の繰り返しが一番の楽しみで、与えれたもの、自分で得たもの、それらをひとつずつ自分の手でかたちにしていくのが生きている楽しみです。毎日ひとつずつ作っていけたらいい。
わたしってきっとものすごくのろいペースで歩いているんだな。「マイペースだなあ」とはよくいわれるけど、自分ではわりと周りに歩調をあわせられているつもりだった。けど、やっぱり遅いんだ。みんなが先へどんどんいってしまうなか、わたしはとろとろ歩いていくんだろう。イライラされながら、それに対して、何をそんなにイライラすることあるのと言って、さらにイライラさせながら。
わたしはよくひとりで歌いながらゆったり踊っている子供だったそうです。