生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

モテキ りすん

モテキ (1) (イブニングKC)
りすん
モテキは今ドラマでもやってて書店でも取り扱いが大きいので有名かと思いますが、気付かなかったけどトッキューの漫画家さんなんだな。全体通して一読の価値はあります。欲しいものは欲しい、といわなきゃ手にはいらない、お膳立てされてるのを待ってるだけで何かになるなんて思うなよ! ってのを思いました。だってずっこいよね、相手に好きっていってもらえるのを待ってるなんて!! ぎりぎり。

りすん。諏訪さんは音に重きをおいてきたのひとなのかなあ。この人の小説すごく好きだ。
小説にはよく社会に対する違和感を書いたというものも多いけれど、その小説自体がすでに「小説」という型にはまっていることも多く、だから「小説」の枠から外れたものに対して「これは小説じゃない」という言説があるわけだけれども、諏訪さんはそこを壊そうと試みた人だと思います。藪からぼうにではなく、計算しながらも大きく壊そうとした人。このりすんは会話だけで描かれた小説で一文たりとも情景の描写ははいらない。けれども風景が言葉と言葉の間にありありと浮かび上がるのが、すばらしい。病室のカーテンの影や荒れ果てたホテルの汚れた様子、うっすらと尿のにおいが漂う様子、それはアサッテの人の叔父の影と一緒で、好きだなと思う。
もちろん小説然とした小説にもすばらしいものはいっぱいあって、どっちがいいってことではないし、名作と呼ばれるものも繰り返し読みたいと思うのだけれど、一方で諏訪さんであったり、舞城さんであったり、あるいは笙野さんだったり、川上未映子さんの享楽的な文章だったり、その中に今の時代がたくさんたくさんつまってる。そんな気がしてならない。