生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

大げさな晩餐のつづき

雲に隠れていても肌が痛い。太陽の季節
昨日はあやちゃんと連絡がつき、彼女の仕事が終わるのを待って、中華料理やさんでビール、辛味のつけ麺、餃子を食べつつ、最近の仕事や摩利と新吾の話をした。あと7月末のストームをどこでやるかとか。摩利と新吾また読みたくなってしまった。
その後、「YOUウチにキちゃいなよ!」の一言で予期せぬお宅(新居)訪問と相成りました。
あやちゃんは最近隣の区に引越してきて、近いうちに遊びにいこうと思っていたのだけれどこんな早く実現するなんてうれしい。まだ足りないものはあるみたいだったけれど十分に一人暮らしを謳歌していて、半熟の味卵とか作ってた! もれなくご馳走になったのでした。美味しかった。
今朝は今まで使ったことのないルートで帰ってきた。思いのほか近い。慣れればたぶん乗り換え含めて電車で40分くらい。がんばれば自転車でもいける。自転車まだ持ってないけど。

帰り道にこの日記を書こうと思ったら頭から文字が流れ出てとまらなくなった。今書いていることは何てことはない日常の記録だ。ただそれだけのもので、残しておこうという気持ちだけがある。本当にそれだけなら手書きで個人のノートに書き付けるだけでいい、むしろ自分で覚えているだけでもいい、自分の中には残っている、だけれど何故ネットに書くかといえば書いた時点で書いたものが自分から分離されてひとり歩きを始めるからだ。
パソコンと手書き、その違いも考えたりする。もしこれが手書きなら同じことを書いていてもまったく違う文章になる。自分との距離が近い。すぐそばで肉のにおいがする。