生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

感情のまま吼えろ

 普段の生活はデザインされたものにあふれていて、このまま感覚が鈍くなってくのやもしれんとふと思ったのでした。動物的な意味で。
 特にそう思ったのは情報について。新聞にしても、テレビにしても、時刻表だって、必ず情報はデザインされて人にとってわかりやすい形に加工されているし、作成者の意図をもって情報が事象とは違うものに変化している場合もある。
 ウェブページを仕事で作るとき、わたしはユーザビリティを一番意識するんだけど、わかりやすさや使いやすさを優先すると無駄なものは当然はぶくわけで、そうやって誰かによって加工された情報を日々目にしている自覚はあったほうがいいよなとか、わたしがはぶいた情報は誰かにとっての必要な情報だったりしないのか、とか、情報に限らず、ベッドだって椅子だって冷蔵庫だって洗濯機だって全てデザインされたものじゃんか、じゃあデザインされていないものって何だろう、植物? 人の体は? これもまた自然の中でデザインされたものになるのかしら、とか思ってぐるぐるぐるぐるしました、こんなこと書くときはわりとろくでもないことを考えているときなので酔いどれはさっさと寝ます。