生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

傘を差す

 湯島天神に梅を見に行ったが、あまり咲いていなかった。小さな梅園には人があふれていて、歩くのにも人にぶつかるかんじだったので、早々に離脱、上野公園の中をぶらりと歩いた。晴れていて気持ちよかった。

 学生の美術展覧会に立ちより、幼稚園児から大学生まで、いろんな年齢の子が描いた絵や造形を見る。
 絵にはその人のこころが表れるのだなと思う。小学生、中学生、高校生。その区切りでがらりと絵のかんじがかわるのが、おもしろかった。内面の変化。前にも後ろにも進めない、羽化したいのにできないもどかしさのようなものが、高校生の描く絵にはたびたびあって、自分も含め、みんなそういうときを過ごして大人になっていくんだよな、とも思った。

 その後は科学博物館へ。600円でものすごい量の展示を見られると知り、だけれど時間がたりず、最後のほうは早歩きでぶっとばして見た。宇宙に関する展示のところで、ああこんなにちっぽけなんだなあ、と思ったら、自分の考えることの全てが小さいことのように思えた。今度時間があるときにまた行こう。

 帰ってきてから、古事記を訳し始める。文法がすっかりわからなくて、これはなんだ、完了か、受身か、と辞書で調べつつやってみた。難解な神様の名前にも全て意味があって、なるほどなあ、と唸る。



 昨日、友人のご両親の書いた手紙の中に、

 人生というのはお天気のようなものです。晴れの日はずっとは続きません。雨が降ることもあります。でも雨が降ったら二人で傘を差せばいいのです。止まない雨はありません。

 というのがあって、山あり谷ありと、言葉を発する人の歩いてきた年月の重みがあるからこそ響く素敵な手紙でした。