生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

光の子にならなくていい

 そう思うのは、今、自分がとても平和な場所に生きているからか。

 「霊獣」読んでいます。こないだ「美しい装丁の本だった」と書いていたのはこの本です。図書館でかりてきた。これを読み終わったらしばらくぽーっとしたい。

 霊獣は折口信夫の書いた「死者の書」を読み解いていく本ですが・・・なんだろ、まだうまく言葉にならないんだけど。この本で描かれている折口はエヴァでいうゲンドウです。最愛の人を亡くした悲しみを乗り越えるために、自分の救いとして、祈りとして、切実な何かで、自分の世界に存在する人間を一つの存在に集約させていこうとする。折口の描かんとした曼荼羅はまさに人類補完計画といっしょです。

 エヴァって実はもう作品の中で全ての謎を語っているんだなあ。新作はどうなっていくのかわかんないけど(新作は旧作を壊して過去と未来を再構築しているから)、旧作に関して言えば、人類補完計画というのは多くの「人」をそれぞれ神に見立て、それをあらたに「一」にしていく作業のこと。ここで言う「一」は「唯一人」でなく、森羅万象、古事記の一番最初に出てくる世界のはじまり、性なしに命を生み出す神のこと。光の世界から自分の分身である異性を自分の中に取り込み両性具有の存在となって性なしに全てを生み出す神となるために、シンジにとってのレイ、あるいはカヲルくんがいる。と、エヴァを使って解釈してみたけれど。

 セックスが生命を多様化させた、といったようなことを地球交響曲の中でフリーマン・ダイソン博士がおっしゃっていましたが、多様化したからこその今で、違いがあるからこその幸福を思った。理解しあえないことからの争いに悲しみは折り重なっているのに、それでも。
 生命の坩堝のような、生命の海のような、人との境がなく、個もなく、魂だけが存在する世界。そこはとても優しく、傷つくこともない。言葉がなくとも通じ合い、ただ、でもそれはすでに他者ではない。地球に生命が生まれたときの状態に戻るってことなのかな。


 うまくかけないよー。ていうかこの日記きもいー!笑 ああんもう!
 

 この肌がちゃんと、自分と人を隔てるためにあること。それってすごいことだ。それって、わたしがわたしである、ってことだよ。わたしの周りにいる誰かが、確実にその誰かってことだ。他の誰でもない、誰かのコピーでもない、そこにちゃんと唯一として在る、ってことだ。

 この世界に生まれてきた、わたしも、大好きな人たちも、お母さんも、お父さんも、海も、山も、空も、風も、動物も、ぜんぶ。同じものなんて一つとしてない。

 何十億年も前に地球が生まれて、地球の中に生命が生まれて、そのときから今まで、ずっと命が続いてきたことのすごさ。
 言葉ではあらわしきれないし、おさまりきらない。