生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

それにしたって

 週末に向けて準備。着々。

 2010年の手帳を買いました。今年1年あの赤い手帳にはお世話になりました。ありがとう!

 来年は茶色です。





 さて、昨日の続き。



 仏教が公的な形で日本に入ってきてから、仏教と神道は主に、本地垂迹(ほんじすいじゃく:日本の神々は仏の化身として現れた権現という考え方)というかたちでいっしょになっていくわけだけど、そこに反発する力として現れた日本古来の信仰を復活させようとする流れは、まさに人の力で行われたもの。

 信仰心があるからこその流れだけれど、神話に描かれていた神様の存在はどこか遠く(というのもおかしな言い方かな)「宗教」としてめきめき形を整え始めた。宗教として「神道」を作る?には、体系や教義が必要で、それは存在に対する信仰、神様という存在の位置づけを人間の言葉で人間がわかるように説明する必要があったわけだ。

 でも既に体系づけられ、宗教として成り立っている仏教に対抗するために理論づけられた神道というのは、その頃はまだ仏教の文法で物を語るしかなく、教義もなく体系づけられてもいなかった日本の信仰を言葉としてまとめようとすると、どこか自然に対する畏怖からはじまった信仰というものからは離れてしまった(ように、わたしは感じた)。ただ最初のままの形ではいられなくなってしまった「神道」も「宗教」としては、その試行錯誤の末に成熟しはじめるんだよなあ。

 本の中に「誰々は何々について云々であると説いた」というような文章が度々でてくるんだけど、それって神様の存在について人が宗教としてより良い形になるような解釈をあとからくっつけたということで、つまり今の神道も「人の力」で編み出されたものということなのだなあ。宗教としての神道は、ちょっとわたしの求めてるものからはずれるなあと思いました。政としての側面が大きくなってきてしまったから?



 神道の中に自分の考えのルーツがあるんじゃないか、と思ってたのね。でもちょっと違うみたい。良い機会だから神道についてはもうちょっといろいろ調べてみようと思うけど、自分の考え方が宗教としての神道じゃあない、とするならば、やっぱ日本中を歩いてみないと答えは出ないのかな。



 神社もお寺も、お地蔵さんの並ぶ山道も。都会での生活も田んぼに囲まれた生活も。自分の目と足と、とにかくある限りの五感で書面には載ってこない「日本」を見るしかないのだなあ。



 興味のはじまりは宮崎。宮崎へはまた行かなきゃなと思う。