生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

意外と

 古事記をかじったくらいで日本史なんてほとんど覚えていないわたしでもわかる国と信仰のはじまりっていったら何だと、とりあえず、の意味で図書館からかりてきた、「日本神道のすべて」が意外と良い本でした。初心者にもわかりやすく、かつ客観的に書かれています(まあもちろん書き手としての主張もあるんだけれど)。現代人が「これはこういうことなのではないか」と今の言葉で定義した知識としての神道



 途中まで読んだんだけど、最初に「なるほど」と唸った部分を引用。


 日本に伝来した宗教は日本人の心に定着する過程で日本的な変容を遂げる。

(中略)

 よく言われるように日本人は神社に初詣し、キリスト教式で結婚式をし、仏式で葬儀を行う。こうしたことは日本人の宗教的無関心さを表すのではなく、信仰の柔軟度の高さを示すものなのだ。日本人は信仰表現にふさわしいものに出合えば、それが異質な宗教のものであっても自在に取り入れ、利用してしまう。仏教儀礼のなかに神道的要素が含まれていたり、仏教や道教に起源をもつ神が神社に祀られていたりするのも、このためである。

(中略)

 こうした神道(広義)の象徴ともいえるものが七福神だ。ここには神道(狭義)の神も、仏教の仏も、道教の神仙もいる。しかし、七福神をどの宗教のものかと悩む日本人はいない。日本人にとってはどれも福を授ける神様なのだ。あるいは徳川幕府キリスト教を禁止しなかったら、七福神聖母マリアや大天使ミカエルが仲間入りしていたかもしれない。

 このおおらかさと柔軟性に、神道の真の豊かさがあるように思うのだが、いかがだろうか。
 最後の一文の「神道」はきちんと体系づけられた国家神道というよりも、日本人という民族が無意識に持っている八百万の神や自然に対する信仰のことです。それを「広義の神道」とこの本では位置づけています。



 しっかし確かに七福神がどこの宗教の神様とか気にしたことない……(笑)調べてみたら、ヒンドゥー仏教道教入り乱れ! なんというJAPAN(笑)恵比寿様のみ日本古来の神様。



 こういうおおらかさっていいな、好きだなあ、と思いました。



 ミストって映画の中で、閉鎖された空間で追い詰められた人間が、自らの救いのために宗教を生み出し、結果として自らの安心のために異端者を排除する描写があるんだけど、日本映画だったら、あれはどう描写されるんだろうかと考えてしまいました。そこに民族間の違いはでるのかな。



 (受け入れる、という意味でのおおらかさを、民族としての日本人がもっているのなら、とも考えた。梨木さんが年々日本的な物語をつむぐようになっているのは、日本の源流に回帰しようとしているからなのか? 「他者を理解する」という部分において)