生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

song 4U

 女子原稿完成! どろさんにお願いしました。



 それにしたって今回見直してみたら、あれでよく意味が伝わっていたなあと思うほどの文だった…いやー…あんまり直しはいれない、っていう最初の姿勢は10分で崩れました。なのでちょみっと印象はかわってるかもしれんです。

 




 信仰について、ぼんやり考える。

 信仰とか宗教っていうのは個人的なもので、自分の心の中でのみ自由なものだから、他人がどうこう口を出すことではないし、自分のそれを他人に押し付けることもできない。否定もね、できない。それに信仰に限って言えば、他者の信仰について、知ることはできても、感情の共有はできないんじゃないかな、と思ったりします。



 わたしは自然であるとか、土着のものに惹かれる傾向にあるので、仏閣ももちろんすばらしいと感じるけれど、道の隅にある雨風に洗われて丸くなってしまったお地蔵さんにも同じだけの、もしかしたらそれ以上の感動を覚えるし、そこに真新しい花が生けてあれば、それをしている人の心に胸が震えます。それが残っていることよりも、敬いながら残してきた、残そうとしている、という事実に感動する。そこには人の祈りがあると思います。



 目に見えないものについて、わたしは信じているけれど、それは特別なものではない。ご先祖様が守ってくれてんだろなといつも思うし、感謝して敬うのは当たり前のこととしてある。食べ物にしても同じ事だ。いただきます、って食べ物として食卓にならんだものと作ってくれた人に感謝する言葉。信仰は非日常じゃないんだと思います。生活を犠牲にして行うものでも、周囲を踏み潰すものでも、関係をぶち壊すものでもなくて、毎朝起きて、ご飯を食べて、仕事をして、帰ってきて、お風呂はいって、眠る、その繰り返しの中にひっそりと息づくものなのではないか。



 まあ何をいいたいか、というと

 いただきますとごちそうさま

 その言葉に感動を覚えた今朝なのでした。



 両手をあわせて いただきます ってなんだかとっても美しい日本語だなあ。