生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

宿題

 人が人として生まれたことには理由があるんだとYは言う。それを宿題というのだって。



 先日、叔母に一つの場所にとどまっていることが不思議だと言われた。「ゆうちゃんはふわふわとどこかへいってしまうんだとばかり思っていたから」。

 でも今は一つの場所に留まってる。

 なんでだろう、人であることが嫌だとかつらいとかそういうことはまったくない、ただわたしはずるくて臆病だ、だから植物のようなやさしくて強いものになりたいと思ってしまうのかもしれない。

 むしろ人としての生活だけで言えば今は食うにも寝るにも困っていない。一人で、ほそぼそとだけれど、なんとかやれている。とても恵まれていると思う。

 

 来世は木蓮に、と書いたけれど、もしかしたらその逆で、大昔、わたしが今のわたしに生まれる前、わたしはもしかしたら動けない何かだったのかもしれない。自分の意思で場所を移すことのできないものだったから、動きたい! わたしも会いにいきたい! そう思って、人に生まれてきたのかな。



 今ならば、わたしは二本の足でどこまででもいける。

 桜を植えてくれるといった友達のところへも、ちゃんと会いにいける。



 それってとてもすてきなことだ。