生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

誰かのためは自分のため

 日曜は従兄弟の結婚式だった。そこで久しぶりに家族に会ったとき、ああわたしはもうあの家には戻れないんだなあと強く思って、これから一人で生きていくんだなと実感しました。

 今まではなんとなくうまくいってたようにも思うんだけど、今回のことで話してもわかりあえないことがはっきりしてしまって、長兄とは今のところ本格的に交わらないところまできてしまいました。わたしは自分の気持ちをうまく彼に伝えることができないし、正直彼のことはわからない。しばらく距離おかなきゃなあ。

 しかも、なんだか長男の肩をもっているのか、次男を責めている長男の前で沈黙に逃げた母のことも「ああ」と思ってしまった。なんで二人の間にたってあげないんだろう。二人とも小さい頃からずっとあなたに認められたくてがんばってんのに。いっつもそういう役目はわたしにまわってくる。

 次男の味方をしたわけじゃないんだけど、長兄があまりに自分の生活と次男の生活を比較して、次男の考えと生活と現状を否定するもんだから、なんでこの人はこういうことしかできないんだろうと、ついわたしも長兄にむかって辛辣なことをいってしまいました。あー。反省しています。

 考え方が違うのはいいけれどそれを互いに認めるという姿勢がないのならぶつかるだけじゃない。みんなそれぞれ道があって、失敗することだってある。それをどっちが正しい、まちがってる、なんて。どっちも間違ってはいないでしょ。

 二人の間にたってたらなんだか本当に悲しくなってしまって、みんなと別れてから、一人暮らししてて本当によかったって思いました。家出てよかったーって。長兄っておかんに似てるのかもしれない。わたしが小さい頃の母にそっくりだ。物事のとらえかたが。次男と母にはさまれることに疲れて家を飛び出したわたしとしてみれば、ひさびさにあった宴の席で同じことを繰り広げられるのはいささかつらいものがあったことにもいい加減気づいてほしい。おめでたい日だったのにさ。

 まあでもそういうものなのかなあ。大人になっていくって。きらいなわけじゃないのに、一緒には暮らせなくなっていく。譲れないものがすこしずつ増えていって、子供のように柔軟にはいられなくなるのかな。でも大人には大人なりの、わかりあう方法があるはずなのにね。



 次男から夜に「おれがなさけないせいで、ごめんね」ってメールがはいってたので、ちょっとだけ緩んだけど。次男にはさんざん迷惑かけられてるし、毎回かばってるし、ぶつかってるけど、言っていることや気持ちはいつもなんとはなしにわかる。わたしが「悲しい」って言った意味、長兄にはわからなかっただろうけど、彼にはなんとなく意味がわかったんじゃなかろうか。



 そういえば全然関係ないけど、仕事を辞めます宣言、二回失敗しました。笑 なんだよーもー! 

 

 結果としてふみとどまった、からには。もうちょっと働きなさいってことなんだろうと思います。でも実務経験をあと半年、資格はあと二つ、それだけやったら次にいきます。収入は不安定にはなるけど今のスキルならもうちょっと別のところ狙っていけるなーと思って。少しずつ本業にシフトしていきたい。



 原稿、週末にまとめてやるぞー。