生活🐌の記録

いるようでいない、いないようでいる

明日で今週が終わりなんて

 うそだ! 原稿がちぃっともすすんでいませんよ。あと三日でどうにかしないと本がでません。表紙も考えてない…月刊なんとか風にしたい。



 どろさんが樹木葬についてかかれてたんですが、わたしも死んだら樹木葬がいい。

 小4、5年のとき、宮崎で見た古樹はお墓だとずっと思っていた。母に連れられて椎葉村のほうへ焼き畑農業を見に行ったついでではあったものの、人のようにうねったあの木を今も忘れられない。大人になってからもう一度見たくて調べてみたら人の上に植えられたものではなかったのだけれど。日本で樹木葬ができるのは前調べたときは数箇所しかなかったんだけど、今はどうなんだろう。

 幼いころの夏休みはいつも鹿児島で過ごしたんだけど、青々とした田んぼのなかで遊んでいるとき、桜島が噴火して、黒い砂のような灰が降ってきたことを思い出す。おばあちゃんちまで走って帰った。子供のころは年近い従兄弟とも何も考えずに同じ時間をすごせた。それも今は難しい。大人になると子供のころと同じようにはいられないのだな、とこのGWに実家に戻って、そう思いました。



 母と兄は相変わらずだった。あの二人のへその緒はいつ切れるんだろう。人は二度へその緒を切るのだと思う。一度は生まれたとき。二度目は大人になるとき。



 鍼灸の先生をしている友人が、こないだ会ったとき、今後BushFlowerというオーストラリアの自然療法を取り入れたくて検体を探しているといっていて、「んじゃ、わたしやるよ」と専用のフラワーエッセンスを作ってもらったんですが、効いているのか、いないのか、わからない!これもっと元気じゃない人にやったら効くのかも。

 わたし自身、便秘はありつつも基本的にもりっと元気だもん。