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雑多な日記

生きている

 2001年、わたしは17歳だった。学校を転学する直前で、自力で眠ることも外に出ることも難しく、昼夜逆転のかたつむりのような生活をしながら「明日」が重たくて仕方なかったころだ。

 夜の11時過ぎ、テレビでありえない映像が流れた。ビルに飛行機が突っ込むという、まるで映画のようなそれを父がテレビの前に陣取ってみていた。いつも飄々としている父が、だ。「合成?」と聞いたら、低い、「違う、本物だよ」という答えが返ってきたのを覚えている。大変なことになった、と言う父の横で、わたしは理由も原因も何が起こったかもわからず、繰り返されるそれを正体不明の何かとして見続けることしかできなかった。テレビ越しの現実は遠く、わたしは何も失っていないし、何かをしたわけでも、出来たわけでもない。こわい、という思いだけが背中に張り付いて離れなかった。

 リービ英雄の「千々にくだけて」を読んでいる。この本を読むのは二度目。奥歯をかみ締めていないと読み進めることができない本だということをすっかり忘れていた。電車の中で何度も、ああ、とため息をこぼしそうになった。文字を読むたびにありありと、音も色も含んだ映像が浮かび上がる。合衆国に入国できなくなった飛行機の群れ、思わぬところで足止めをくらい空港にあふれかえる人々、兄を、姉を、家族を探す人々の泣き叫ぶ声、何が起こっているか、きっと誰にもわからなかった。わかったのは貿易センタービルが砂になり、多くの人の命が失われ、世界はかわってしまった、という事実だけだ。

 この本にはあの日が描いてある。人が描いてある。それは筆者であり、世界中にいる誰かでもある。

 地下鉄が地上に出たとき、傾いた太陽がまっすぐに目にはいってきた。中天には重たい雲があるのに、地平線だけがすっきりと晴れて、淡い黄色に染まっていた。電車はいつものように走り、日々は何一つ崩れていなかった。あの日もきっと、誰一人として、自分自身の生活が崩れるなんて思っていなかったはずだ。いつものように目覚め、朝食をとり、地下鉄やバスに乗って出勤し、仕事をする予定だった。それが途切れるなんて誰が想像できたんだろう。

 忘れない。この事実を、忘れてはいけない。あの夜に見た映像を、忘れてはいけない。失われたものは二度と戻ってこない。それだけはわかる。